古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

更級日記の道 下総国Ⅱ(江戸川から隅田川)

古代東海道 下総国Ⅱ(江戸川から隅田川) ⑧ 荒川から隅田川へ再度の実地踏査

前回の荒川から隅田川にわたる実地踏査はどうも消化不良だった。 荒川ふちのほがらか保育園付近から東武鐘ヶ淵駅への道を歩いていない。 同駅踏切から墨堤通にわたる過程も説明不足。自分の備忘録としても。 墨堤通西側の堤通2丁目は木母寺、隅田神社と歴史…

古代東海道 下総国(江戸川から隅田川)⑦ 荒川新四つ木橋から隅田川水神大橋へ

想定するルーはこう ここらへんの土地勘は全くない。 長い新四つ木橋を下りると八広小前の交差点。(墨田区八広6丁目) 右折し、鐘ヶ淵通りを東武鉄道に向かって北進するしかない。 四つ木橋だったら途中土手のところで降りられそうだが。次回はそうしよう。 6…

古代東海道 下総国(江戸川から隅田川)⑥ 四つ木、古代道の表示、葛西清重、荒川

上小岩遺跡通りの出発点同様はっきりしているルートの中で最終に近いポイントなので少々詳しく述べたい。 奥戸街道と平和橋通りの交錯するところがわかりにくい。 踏切を渡ってそのまままっすぐ進むと北西の水戸街道方面に行ってしまう。 渡ってすぐ左折し、…

古代東海道 下総国(江戸川から隅田川)⑤v2 東京低地の古代のイメージと流れる川の現況

東京低地湿原イメージ 湿原であった東京低地のイメージとして参考になるものを挙げたい。 上総の国と下総の国の境当たり、現市原市と千葉市の間茂原街道沿いに出水の多い広範な湿地帯がある。 都市圏であり、いつまでも開発から免れ得ないと思うので取り合え…

古代東海道 更級日記の道 下総国(江戸川から隅田川)④ 新中川・中川・荒川へ

三和橋の先に富士山が見えている。 左には葛飾区立の奥戸小学校や体育館が見えている。 このルートで気になっていた一つが奥戸小前にあるという古代東海道を説明する掲示板だ。 ネットでもよく撮影紹介されている。 そばまで行ったが見つからず、校舎を左周…

更級日記の道 下総国(江戸川から隅田川)③ 上小岩遺跡通り出発、新中川まで

対岸江戸川区側に戻って、里見公園脇の道を眺める。 川のそばまで行ってみよう。 コンクリート護岸でないとは思わなかった。 水は思いのほかきれい。東京都、千葉県で水道水に使っているのだから当然かもしれないが。 対岸の風景の広がり、みどり、水量とも…

更級日記の道 下総国2 江戸川から隅田川②ー江戸川(太日川)を渡った地点

将棋ではないがルートを考えるには次の手(地点)、その次の手(地点)と、先、先を考える必要があろう。確かに市川近辺の千葉街道(国道14号)は古代東海道を踏襲していようが、そのまま延長するのはいかがなものか。 市川広小路 正面:市川橋・東京 右国府台・松…

古代東海道/更級日記の道3 下総国2—江戸川から隅田川①—

じめに 現在の千葉県と東京都の境は江戸川であるが、下総国と武蔵の国は隅田川を境としていた。確かに東京都江戸川区から見る対岸は緑の多い小高い丘陵になっており景色はかなり変わり、違う国のようにも思える。 孝標女自身も江戸川を境と誤解していたが無…