古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

更級日記の道 武蔵国

古代東海道更級日記の道 武蔵国㉖ 武蔵と相模の国境

多摩川を渡って神奈川県に入っても律令制下における相模国になるわけではない。 相模国は現在の神奈川県西半分。現川崎市と横浜市の大半は南武蔵の南縁部に相当する。 つまり武蔵と相模の境界は横浜市西半分を南北に縦断し、関東山地から三浦半島へ続く多摩…

古代東海道更級日記の道 武蔵国㉕ 大田区と田園調布

大田区ってどうもつかみ難く一口で特性を言い難い。 下町工場街?高級住宅街? 東京湾対岸の市原市に似ている。 ベイエリアの重工業工場地域と沢蟹のいる山間部の養老渓谷、地磁気逆転スポット! 大田区は1947年,大森区と蒲田区を合わせる形で成立したが(大…

古代東海道更級日記の道 武蔵国㉔ 多摩川台公園の古墳(大田区田園調布1丁目)

3か月くらい前に新聞で紹介されていた(読売 2021.12.13)。 丸子橋に近いし、そばにある遺跡として是非とも寄ってみたかった。 日没までまだ時間があるのは幸いだ。 手前に神社があるが、俗っぽいたたずまいに見えたし、一般に多摩川台公園内の古墳と共に紹介…

古代東海道 更級日記の道 武蔵国㉓ 高輪台→五反田、荏原、中延、旗の台、洗足、雪谷→丸子橋へ

1号線(桜田通)に出て高輪台駅先ですぐに港区から品川区に変わる。 さほど遠くない五反田駅にかけて驚くのが坂道の傾斜度。 こんなに高度差があるとは。 そして長い。 東京の坂道について書く人、書かれた本は多いが、坂道の大半は短めだ。 ここは長い。 これ…

古代東海道/更級日記の道 武蔵国㉒ 高輪皇族邸、東海大、高野山東京別院、味の素前、高輪台交差点

伊皿子交差点を過ぎ、すぐ100mくらいでこんもりした森。よく見ると門前に機動隊の車両1台と立っている警察官。 高輪皇族邸だ。立哨警備とは現に皇族が居住中? その50mくらい先に茶色系の外壁(冴えない)の高層マンションが建っているが、なんと都営アパート…

古代東海道・更級日記の道 武蔵国㉑ 三田3丁目交差点から聖坂、済海寺・亀塚へ v2

通説?への疑問と中原街道ルートについて 「古代の道」(武部)は多摩川から桜田門までのコースを次のようにとらえている。 (同著78頁) これに(中原街道)にしたがってそのまま多摩川を渡り、 中原街道の中延付近で東に折れ JR京浜東北線大井町駅前が大井駅(品…

古代東海道更級日記の道 武蔵国⑳ 桜田門、霞が関、虎ノ門、芝公園(芝丸山古墳)、赤羽橋、慶大前、三田3丁目へ

3月28日月曜日。JR有楽町で地下鉄に乗り換え桜田門駅へ 駅がこんなに近いとは思わなかった。 どこか違う。 そうだ、地下鉄出入口に屋根がない。景観第一の特異地点だからだろう。 それより海抜6.8mの表示がうれしい。この高さは微高地というのだろうか。 こ…

古代東海道 武蔵国⑲ 順天堂大→明治大→駿河台下→一ツ橋二丁目(一橋大)→二重橋・桜田門 

首府の防御防備(ウクライナと江戸城) 本郷通りを本郷3丁目、壱岐坂上、その先の二股を右折して外堀通り(順天堂前)までやってきた。 芳賀氏は言っている。 江戸以前に現在の外堀はなく、本郷台地は神田山の山すそ(現在の神田小川町付近)まで一続きだった…

古代東海道 武蔵国⓲ 本郷通りのゆくえと参考文献

これでいいのかと、少々不安ながらの、お茶の水行きであったが、帰ってからとても良い本に巡り合った。 著者は元柏書房の社長さんで、地図学会の評議員や東京経済大の客員教授を務めている。書名からは元社長さんの趣味的なものに感じてしまうが、中身は専門…

古代東海道 武蔵国⓱ 向ヶ丘弥生町→東大本郷キャンパス→本郷3丁目→お茶の水橋

さて、あまり寄り道ばかりをしていると時間が無くなる。浅野キャンパス(弥生2丁目) を出て本郷キャンパス(本郷7丁目)を横切り、正門から本郷通(国道17号)に出ることにする。 浅野キャンパスと本郷キャンパスに挟まれたところにひっそりと隠里っぽい格調高い…

古代東海道 武蔵国 ⓰ 漱石旧居跡→根津神社→根津小学校→東大浅野キャンパス・弥生二丁目遺跡

漱石旧居跡前(千駄木1丁目)の道を南下すればすぐ日本医大前交差点。 少々くたびれた感じ。再開発されるのかな? ここで90度右に曲がれば本郷台地の尾根道である本郷通りにつながる455号にぶつかる。そのルートで道なりに進むのが手っ取り早いが、薮下通り…

古代東海道・武蔵国⑭ 東日暮里から桜田門2⃣ 森鴎外住居跡→薮下通り→千駄木ふれあいの杜と太田道灌末裔

昔はなかった不忍通りを越えて団子坂下に入る。 実際は写真より急 横から撮ると傾斜がわかる。舗装がない時代、雨の時は大変だっただろう。 団子坂上に到着して振り返った。距離は短い。 右折すると(写真では左)公的施設がある。 反対側を見ると変わった建物…

古代東海道 武蔵国⑫ 上野台と本郷台

天王寺あたりに登ったとして京へ向かうには左折南下せざるを得ない。 どのルートで? 既に足を踏み入れている足元の上野台尾根道をそのまま南下するのが素直な解釈にも思える。遺跡も多いし。 <上野台の古墳群> 上野の台地に遺された唯一の墳丘として、摺…

古代東海道 武蔵国⑪ 道の探索と参考となる図書

豊嶋の駅家から皇居までのルートについて試見,私案でもいいので具体的コースを挙げてくれる人がいればいいのだけれど残念ながらほとんど目にできない。 というわけで暗中模索することに。方法としては A: 地図上から考える=まさに机上のプラン、b: Aに…

古代東海道 武蔵国⑩ 谷中から皇居へのルートを考える

江戸川(市川市国府台)から隅田川へのルートについては書く人が多い。 しかし隅田川を越え、三ノ輪から谷中になると激減(西進)。 谷中から皇居となると江戸時代の資料はありすぎるほどだが古代道となると言及する人はさらに少なくなる。 人が既に書いている…

古代東海道 武蔵国⑨ 谷中に上って天王寺へ

東京低地から上野台地(武蔵野台地東端、山の手台地ともいう。)・谷中霊園付近に上がるとして現在のJR日暮里付近の地形だと三つのルートが考えられる。北から御殿坂、紅葉坂、芋坂。 しかし、それらの各地点が多くの人と荷物を伴う集団移動にふさわしい通過ル…

古代東海道 武蔵国⑧ 「谷根千 地図で時間旅行」を読んで

森まゆみさんは自分の町と感じる「やなか、ねづ、せんだぎ」について25年間地域雑誌「谷根千」を発行してきた。 その地域について江戸開府以来、現在まで関係する地図を1冊に集めて町の歴史を読み解こうとする本が「谷根千 地図で時間旅行」。(2015年 晶文…

古代東海道 武蔵国⑦ 浅草から上野は考古学上重要地域

関東の考古学という本があった(1991年初版、学生社)。執筆者7人中6人が関東の大学を出て関東の大学や公的機関で職に就いている中、一人同志社大を出てそこの教授をしている方がいらっしゃる。森 浩一という先生で大変高名な学者らしい。 ちらっと拝見する…

古代東海道 武蔵国⑥v2 別の道で谷中霊園(豊嶋駅家)へ

(末尾に追記があります) 現在地から目的地へ行く場合に、出発箇所ではいくつかのルートがあるとしても目的地近辺の都合から遡って出発ルートの選択が限られる場合もある。 思考経済上も目的地近辺の(歴史的)地理を見ておくのが有用に思う。 江戸時代はつい最…

古代東海道 武蔵国⑤ 大関横丁(三ノ輪)から谷中へ

隅田川の渡し(白髭橋の少し上流か)で対岸石濱あたりへ渡河するまではわかるとしてその先がはっきりしない。 豊嶋の駅家が谷中とする説を前提として石浜から三ノ輪までのルートのついては前に述べた。大関横丁交差点付近については次のように考えている。 …

寄り道して樋口一葉記念館と旧居へ

大関横丁交差点でどうしたものかと途惑い、とりあえず交差点角にあったMACに入り、一人作戦会議。 地図を見ると一葉記念館が近いではないか。 交差点角は三ノ輪1丁目。その南は竜泉3丁目。 さらいえばその東南に位置するのが千束4丁目、旧吉原だ。 せっか…

古代東海道 武蔵国④ 歴史的農業環境閲覧システムと荒川区南千住から台東区三ノ輪駅近辺へ

前回、明治13年~19年の迅速測図原図に隅田川貨物駅の広大な線路が見えているのは早すぎないかと疑問を述べたが、歴史的農業環境閲覧システムの解説をよく読むと「現在の道路(赤線)、河川(水色線)、鉄道(灰色)」と書いてある。 黒っぽく見えた鉄道の軌跡は灰…

古代東海道 武蔵国③ 荒川区南千住/汐入(その1)

隅田川には渡しが20前後あったという。 下総から続く古代道との接続を考えると渡った箇所は隅田(住田)の渡しであろう。 では隅田の渡しはどこか。 現在の水神大橋と白髭橋の間、隅田川神社の対岸当たりではと推定されている。 そう考えて対岸の地に行って見…

古代東海道 武蔵国② 隅田川のほとりで考える最近のこと

市原市界隈から始めてここ隅田川ほとりについての考えをアップするまでの短い期間であるが、結構考えさせてくれる事柄が生じている。—決して芳しくないものではなく、むしろ逆であるが—。 1はNHK大河ドラマで今日2022年1月9日から始まる「鎌倉殿何とか」関…

古代東海道 武蔵国① 入国した隅田川先の古代道比定・推定は困難

白髭橋(隅田川)を渡れば武蔵の国 下総の国江戸川から隅田川までは前記のとおりここが古代道だろうと推定される道があるが、隅田川の渡し場(☆A)から豊嶋駅家(☆D)に至る道についてはハッキリ比定する方はいないようだ。 「地図で見る東日本の古代」も東武鐘…