古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

書店と書籍

総理は夏休み前に八重洲の書店で10冊の本を購入したとのこと。 東京駅前八重洲ブックセンターだろう。職場が近いときは結構行ったが,今はいくことがない。 今日ある大きなターミナル駅の駅ビル内にあるくまざわ書店に寄った。 驚いた。 考古学、古代の歴史…

磨り石の展示について

あるところで見た展示 あれ?うちの庭に転がっている石に似ているなあ。 もしかして遺跡の石が我が家に?そんな馬鹿な。 展示の説明をよく見ると 磨(す)り石とある。古代の人が磨いて作った石ではなく、植物を磨(す)るために用いた 石らしい。 とすると遺跡…

理系考古学者の卓見

「考古学を科学する」という本(2011年 臨川書店)で中條理一郎氏が書かれている「はじめに」の内容に驚いた。 「はじめに」であるが7頁と長く、しかもその内容が考古学に関しての文科系と自然科学の考え方の大きな違いのみならず、広く学問一般に通じる問題点…

古代東海道更級日記の道 武蔵国㉖ 武蔵と相模の国境

多摩川を渡って神奈川県に入っても律令制下における相模国になるわけではない。 相模国は現在の神奈川県西半分。現川崎市と横浜市の大半は南武蔵の南縁部に相当する。 つまり武蔵と相模の境界は横浜市西半分を南北に縦断し、関東山地から三浦半島へ続く多摩…

樋口一葉と鏑木清方・朝倉摂

4か月ちょっと前、台東区のところで竜泉にある樋口一葉記念館に寄り道した。 武蔵の国の項、最終としてそれに関連することを。 訪れたのは2021年12月19日であったが、樋口一葉の作品を舞台化した資料として舞台の模型が展示してあった。 そして、その舞台美…

田園調布 の街並み

多摩川台公園を北に進み、宝來山古墳に近づくと公園の東脇を通る道越しに、ちらちら家々の屋根が見えだしてくる。 どこかで見たような風景 ドイツに防御のため街の外周を城壁で囲んだ古い都市がある。その城壁は人が通れるようになっていて町並みを見下ろし…

古代東海道更級日記の道 武蔵国㉕ 大田区と田園調布

大田区ってどうもつかみ難く一口で特性を言い難い。 下町工場街?高級住宅街? 東京湾対岸の市原市に似ている。 ベイエリアの重工業工場地域と沢蟹のいる山間部の養老渓谷、地磁気逆転スポット! 大田区は1947年,大森区と蒲田区を合わせる形で成立したが(大…

古代東海道更級日記の道 武蔵国㉔ 多摩川台公園の古墳(大田区田園調布1丁目)

3か月くらい前に新聞で紹介されていた(読売 2021.12.13)。 丸子橋に近いし、そばにある遺跡として是非とも寄ってみたかった。 日没までまだ時間があるのは幸いだ。 手前に神社があるが、俗っぽいたたずまいに見えたし、一般に多摩川台公園内の古墳と共に紹介…

古代東海道 更級日記の道 武蔵国㉓ 高輪台→五反田、荏原、中延、旗の台、洗足、雪谷→丸子橋へ

1号線(桜田通)に出て高輪台駅先ですぐに港区から品川区に変わる。 さほど遠くない五反田駅にかけて驚くのが坂道の傾斜度。 こんなに高度差があるとは。 そして長い。 東京の坂道について書く人、書かれた本は多いが、坂道の大半は短めだ。 ここは長い。 これ…

港区 仮仙洞御所と幼稚園どんぐり採取

武蔵の国㉒で古代東海道のルートと考える二本榎通りについて述べたばかりであるが、近世以降も色々歴史が濃いようだ。 この、お屋敷、もとは細川藩の屋敷であったようであるが2年間、上皇の住まいである仙洞御所(仮)であったとは知らなかった。二日前、葉山…

 江戸城至近の大名上屋敷とブラタモリ雑感

一昨日土曜日のブラタモリ、ちょうど当ブログで最近扱った内容にダブるところがあるので興味深く拝見した。 番組で時間をかけ、特に強調していたのが井伊氏の優遇とその上屋敷位置の優越性だった。 上屋敷の場所は海抜の高い、桜田門を見渡せる絶好の位置。 …

古代東海道/更級日記の道 武蔵国㉒ 高輪皇族邸、東海大、高野山東京別院、味の素前、高輪台交差点

伊皿子交差点を過ぎ、すぐ100mくらいでこんもりした森。よく見ると門前に機動隊の車両1台と立っている警察官。 高輪皇族邸だ。立哨警備とは現に皇族が居住中? その50mくらい先に茶色系の外壁(冴えない)の高層マンションが建っているが、なんと都営アパート…

古代東海道・更級日記の道 武蔵国㉑ 三田3丁目交差点から聖坂、済海寺・亀塚へ v2

通説?への疑問と中原街道ルートについて 「古代の道」(武部)は多摩川から桜田門までのコースを次のようにとらえている。 (同著78頁) これに(中原街道)にしたがってそのまま多摩川を渡り、 中原街道の中延付近で東に折れ JR京浜東北線大井町駅前が大井駅(品…

古代東海道更級日記の道 武蔵国⑳ 桜田門、霞が関、虎ノ門、芝公園(芝丸山古墳)、赤羽橋、慶大前、三田3丁目へ

3月28日月曜日。JR有楽町で地下鉄に乗り換え桜田門駅へ 駅がこんなに近いとは思わなかった。 どこか違う。 そうだ、地下鉄出入口に屋根がない。景観第一の特異地点だからだろう。 それより海抜6.8mの表示がうれしい。この高さは微高地というのだろうか。 こ…

古代東海道 武蔵国⑲ 順天堂大→明治大→駿河台下→一ツ橋二丁目(一橋大)→二重橋・桜田門 

首府の防御防備(ウクライナと江戸城) 本郷通りを本郷3丁目、壱岐坂上、その先の二股を右折して外堀通り(順天堂前)までやってきた。 芳賀氏は言っている。 江戸以前に現在の外堀はなく、本郷台地は神田山の山すそ(現在の神田小川町付近)まで一続きだった…

古代東海道 武蔵国⓲ 本郷通りのゆくえと参考文献

これでいいのかと、少々不安ながらの、お茶の水行きであったが、帰ってからとても良い本に巡り合った。 著者は元柏書房の社長さんで、地図学会の評議員や東京経済大の客員教授を務めている。書名からは元社長さんの趣味的なものに感じてしまうが、中身は専門…

古代東海道 武蔵国⓱ 向ヶ丘弥生町→東大本郷キャンパス→本郷3丁目→お茶の水橋

さて、あまり寄り道ばかりをしていると時間が無くなる。浅野キャンパス(弥生2丁目) を出て本郷キャンパス(本郷7丁目)を横切り、正門から本郷通(国道17号)に出ることにする。 浅野キャンパスと本郷キャンパスに挟まれたところにひっそりと隠里っぽい格調高い…

古代東海道 武蔵国 ⓰ 漱石旧居跡→根津神社→根津小学校→東大浅野キャンパス・弥生二丁目遺跡

漱石旧居跡前(千駄木1丁目)の道を南下すればすぐ日本医大前交差点。 少々くたびれた感じ。再開発されるのかな? ここで90度右に曲がれば本郷台地の尾根道である本郷通りにつながる455号にぶつかる。そのルートで道なりに進むのが手っ取り早いが、薮下通り…

古代東海道 武蔵国⑮    3⃣日本医大→漱石旧居跡

薮下通りに戻り、進む。 方角的にはどこかで右折することになるが、期待していた案内表示はない。 多分このあたりかと勘で入ったのが下図の解剖坂。 少しのぼりとなる。日本医大の建物が多い明るい高台。 突き当たって右側すぐにあった。 祝日のせいか散歩中…

古代東海道・武蔵国⑭ 東日暮里から桜田門2⃣ 森鴎外住居跡→薮下通り→千駄木ふれあいの杜と太田道灌末裔

昔はなかった不忍通りを越えて団子坂下に入る。 実際は写真より急 横から撮ると傾斜がわかる。舗装がない時代、雨の時は大変だっただろう。 団子坂上に到着して振り返った。距離は短い。 右折すると(写真では左)公的施設がある。 反対側を見ると変わった建物…

古代東海道 武蔵国⓭ 実踏:東日暮里から桜田門① 善性寺→芋坂→天王寺→三崎坂→団子坂下

この日(2022.2.23)、地下鉄日比谷線三ノ輪駅を降り(荒川区東日暮里1丁目・台東区根岸5丁目)、皇居桜田門まで通しで歩いた。 大げさであるが私の人生でこれほど新鮮で有意義な1日はなかった。大学が三つ(日本医大、東京大、明治大)、全生庵など有名なお寺がい…

古代東海道 武蔵国⑫ 上野台と本郷台

天王寺あたりに登ったとして京へ向かうには左折南下せざるを得ない。 どのルートで? 既に足を踏み入れている足元の上野台尾根道をそのまま南下するのが素直な解釈にも思える。遺跡も多いし。 <上野台の古墳群> 上野の台地に遺された唯一の墳丘として、摺…

古代東海道 武蔵国⑪ 道の探索と参考となる図書

豊嶋の駅家から皇居までのルートについて試見,私案でもいいので具体的コースを挙げてくれる人がいればいいのだけれど残念ながらほとんど目にできない。 というわけで暗中模索することに。方法としては A: 地図上から考える=まさに机上のプラン、b: Aに…

古代東海道 武蔵国⑩ 谷中から皇居へのルートを考える

江戸川(市川市国府台)から隅田川へのルートについては書く人が多い。 しかし隅田川を越え、三ノ輪から谷中になると激減(西進)。 谷中から皇居となると江戸時代の資料はありすぎるほどだが古代道となると言及する人はさらに少なくなる。 人が既に書いている…

古代東海道 武蔵国⑨ 谷中に上って天王寺へ

東京低地から上野台地(武蔵野台地東端、山の手台地ともいう。)・谷中霊園付近に上がるとして現在のJR日暮里付近の地形だと三つのルートが考えられる。北から御殿坂、紅葉坂、芋坂。 しかし、それらの各地点が多くの人と荷物を伴う集団移動にふさわしい通過ル…

途中見た重粒子線治療施設に関すること

下総の国⓴で触れた施設 千葉大キャンパスの少し先、稲毛駅の前あたりでこの前の道を通った。 まさか、ここに何度も石原慎太郎氏が治療に来ていたとは。 2年前、氏が87歳のときらしい。 追悼の意味であろうかその時のことについて書かれた手記が文芸春秋社…

途中で言及した人または地点と話題 その1 五木寛之

古代の足跡をたどるこのブログも千葉県市原市から東京都台東区まで進んでいるけど、それだけの距離でもたまたま挙げた人や地点が令和の今、世の話題となっていることがある。 五木寛之氏 (下総国 市川市の記事で触れている) 2月3日朝、車の中だったか、NHK…

古代東海道 武蔵国⑧ 「谷根千 地図で時間旅行」を読んで

森まゆみさんは自分の町と感じる「やなか、ねづ、せんだぎ」について25年間地域雑誌「谷根千」を発行してきた。 その地域について江戸開府以来、現在まで関係する地図を1冊に集めて町の歴史を読み解こうとする本が「谷根千 地図で時間旅行」。(2015年 晶文…

古代東海道 武蔵国⑦ 浅草から上野は考古学上重要地域

関東の考古学という本があった(1991年初版、学生社)。執筆者7人中6人が関東の大学を出て関東の大学や公的機関で職に就いている中、一人同志社大を出てそこの教授をしている方がいらっしゃる。森 浩一という先生で大変高名な学者らしい。 ちらっと拝見する…

古代東海道 武蔵国⑥v2 別の道で谷中霊園(豊嶋駅家)へ

(末尾に追記があります) 現在地から目的地へ行く場合に、出発箇所ではいくつかのルートがあるとしても目的地近辺の都合から遡って出発ルートの選択が限られる場合もある。 思考経済上も目的地近辺の(歴史的)地理を見ておくのが有用に思う。 江戸時代はつい最…