古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

ブログ開設のご挨拶

初めに

 片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず

芭蕉ではありませんが私もさすらうことに思いを寄せる人間です。

最後の清流四万十川源流、方丈庵旧跡(不正確と思います)も見に行きました。東京都心にもいいところはあって、例えば目白通りの胸突き坂(文京区)はなかなかのものです。

 山も槍ヶ岳北鎌尾根、谷川岳マチが沢、前穂高北尾根,明神岳主峰東陵など少々登りました。

車やオートバイによるツーリングも行いました。

しかし何より深く感じるのは自分の足による長距離の旅です。量が大きくなると質変化に及ぶようで物見遊山を超える精神的な何かを与えてくれます。

 2013年の四国歩き遍路1200キロはかけがえのないものになっています。

千年前の菅原孝標一家の千葉・市原の国府から京への旅にも通じるものを感じます。

更級日記源氏物語より深い普遍的な感動を与えるものであると思います(私見)。

それだけでなく、当時の唯一の実録として考古学や歴史地理学への貴重な一級資料になっている点でも特筆に値するものになっています。

「予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて」孝標女が歩いた古代東海道をフォローしたくなりました。

 といっても最近はやりの東海道53次の旅のようにはいきません。江戸開府600年前のことです。資料がほとんど残っておらず古代東海道は考古学や歴史地理学の対象になっていることを知り驚いている状況です。

私はまさに赤子状態。どんな資料があるのかその点から始めないといけません。前途多難です。

ただ、上総の国府(千葉県市原市)の隣の自治体に住んでいてそのあたりはいつでも行けること、また次の下総の国の国府があったとされる千葉県市川市は私が子供の時から住んでいたいわば故郷なので土地勘があります。したがって更級日記に出てくる古代の上総、下総二国の土地については一定の基礎的理解ができている点で助かる点があります。

次の武蔵の国についても東京ですから学校、職場歴からして一定の理解はできます。まあ、千葉、東京、神奈川は何とかなりそうですが、その先は土地勘等ゼロ。まさにお先真っ暗という状況です。

 

出発点となる市原市更級日記に対する思い入れは極めて強く、これほど心強く感じることはありません。

復元してある上総国分尼寺はまるで平城宮跡を思い出させるほどの立派さです。一地方都市でこれほどのものを作るというのは経済力があるのでしょう。サッカーのJリーグも持ていますからね。

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