あまりに低評価、酷評で可哀そうすぎる。
更級日記についてのぶ厚い本を読むと父親のことが出てくる。
解説することが多い犬養氏はこう書いている。
日本古典文学全集1971年初版 小学館
犬養廉(キヨシ 大正11年生まれ)
孝標自身もこの時代を生き抜くにはあまりに凡庸な好人物だったらしい。
菅原家は大江家とともに学問を分掌、歴代,文章博士・大学頭に任じてきたが、孝標に至っては、そのいずれにも任じていない。
西暦1000年蔵人、翌年29歳で叙爵してより、孝標はわずかに上総、常陸の受領を歴任したに過ぎない。
彼の学問官途の蹉跌は15歳にして父資忠を失ったことにもよろうが、それ以上に彼自身の魯鈍な資質に帰せられよう。
1023年孝標女16歳時孝標が道長に従って龍門寺に参詣、菅丞相真筆の扉に仮名の拙草を添え書きして失笑をかう。
注)菅丞相(かんしょうじょう)とは菅原道真 (すがわらのみちざね) の異称。
優秀ではなくも「魯鈍な資質」とはあまりに。死んで千年経ってこういわれるなんて。昨今犯罪歴ある人について、いつまでもネットでそのことを言われ続けるのはいかがなものかと、忘れられる権利を主張する向きもあるというのに。
パッとしないが子供思いの好人物であった、それでいのではと思う。