古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

国司御一行様赴任旅の乗物と石山寺縁起絵巻

               

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身分のある男性は騎馬、

下人は徒歩

身分ある女性は手車や手輿

一部の女性は騎馬

と考えられているようだ。

その根拠は?というと石山寺縁起絵巻の絵にあるもよう。

だがしかし、

この絵巻は鎌倉時代末期に描かれた想定画。しかもビグネームの石山寺参詣を描いたもの。

 

 

世の中の風景は100年200年たてばずいぶん変わるし、都に近いところと僻地山間部では

大きく変わるのではないか。

今昔物語は信濃守(938年就任)が帰任途中御坂で馬もろともに懸け橋から谷底へ落ちてしまったことを書いている。

とても全部が全部、石山寺縁起絵巻のように「雅」な旅形態ではなかったと思うが。

 

なお、正岡子規明治23年に行った東京本郷から下総→上総→安房の旅では鉄道(一部)、騎馬、徒歩、船を使っている。

足はわらじ、雨具は蓑と、あまり江戸時代と変わらない。