上記社寺を上総国府位置比定の根拠に掲げる研究者が多い。
津本氏が紹介する鴇田恵吉(ときたえきち)氏の言説は次のよう。
阿須波神社は万葉の歌から国府の庭にあったと考え、上総国府を市原台地と想定し、更級日記の薬師堂は光善寺薬師如来縁起や柳楯神事から推して光善寺の薬師堂と判断。
この薬師堂の背後にある御手洗井を、更級日記の「てあらい」などした場所とみて、国司の官舎は光善寺後方の字、要谷であろうと提唱する。
国道297号大多喜街道、東京に向かって左側の台地の際にあるのが阿須波神社、道路右側にあるのが光善寺だ。
阿須波神社
グーグルの航空写真はこうだが道は狭く、案内表示などなくてわかりにくい。
297号から入るポイント地点はここ。表示は全くなし。
下の条里制遺構の端を歩く道だとここから入るがここも気が付かない。怪しいと思って登ったらそうだった。
遠く防人に赴く人を待つ歌
条里制遺構、高速館山道、その先に湾岸の工場街が見える。千数百年前は海と富士山か。
台地下の道を進む場合の雰囲気を。
自動車がほとんど通らず心地よい。
神社のあるところで下の道から仰ぎ見ると。
2019年秋の台風で崖が崩れそうになっていた。
保全しておかないと万葉遺構も危い。
少し先に遺構の表示が。
横切って海方面に進む道を指しているのか?
私は直進したい。すぐ先で山木三叉路に合流する。