古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

上総の国 ⓾ 菊間・村田川へ

さて、山木交差点から先、どう進むか。

左折し、八幡地区へ進み房州往還道を進むとするのが多数説かもしれない。

ここで道路技術系研究者の発言も頭をよぎる。

一は、武部健一氏(元建設省道路公団)の「高速道路と古代道路の共通性というものに気づき~

 (古代の道 吉川弘文館2004年)

一つは、 元神奈川県県土整備部長 小方武雄氏の次の記述

 「今までに採用された視点に加え、新たに古墳や地域の豪族、延喜式に掲載された式内社、直線道路のさらなる活用などの視点を加えて検討を行った。

 (PDF資料 神奈川における駅路に関する一考察)

 

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結論から言うと自説は古墳や地域の豪族菊間国造、直線道路のさらなる活用、村田川以北で選択するルートなどの視点を加えて高速館山道に沿う次のようになった。

以下続く

 

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