古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総国② (古市場)高嶋天神社と長妙寺橋

村田川にかかる長妙寺橋を渡る。そこは割と普通に見える町並み。

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せっかく、渡るのだから同じ名前のお寺を見てみようとすぐ右折。

おや、途中、ひなびたいかにも村のお宮という感じの神社があった。

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ところが、

平安時代から続き、千年の歴史を持つという。

しかも菅原孝標5代前の菅原道真本人をまつるというではないか!

ちょっと出来すぎ。

案内板から引用させていただくと

古市場天神社の周辺は、かつては「高嶋(たかじま)」と呼ばれ、これは平安末期から鎌倉初期にかけて、千葉氏の家臣「高嶋恒重」の館があった(菊間館跡または高嶋館跡)ことからと伝えられております。恒重が治承年間(一一七七~一一八一)にこの地に神社を建立し、道真公をお祀りしたといわれております。

 寺社はそれこそ星の数ほどあるが、ほとんどは数百年の歴史。千年に及ぶというのは多くはない。

建立は1177年としても更級日記の150年後だから彼女が知るはずはないが。

 

少し先を行くと長妙寺

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日蓮宗のお寺で創建時は不明とのこと。

高嶋天神社の方がアウラを発散している気がする。

 

なお、村田川の北側は下総と言ったがこの両寺社は現市原市(旧上総国)。どううこと?

24号線にかかる村田橋同様、ここでも河川の流れがかなり変化(南下)しているということか。

 

 

 もう一度地図を。

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 ところで更級日記を考察するうえで (古市場)高嶋天神社と長妙寺橋をまな板に載せる人などいないと思っていたが大著「更級日記の研究」で津本氏は両者を写真と地図に掲げている。何か感じるところがあったのであろうか。ただし、神社は「長妙寺脇の天神」とするのみであるが。

菊池古墳群をあげないで合点がいかないが、昭和57年の発行ということが影響しているのか。