古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総国④八剣神社

たまたま市販の一般的な地図を見ていたら小さく八剣神社というのを見つけた。

なぜか、気になって仕方がないがどうやって行くのかはっきりしない。

千葉中央遺跡通り(仮称)に入ってすぐ「廣照寺入り口」という看板があったのでそこから入ってみた。

 

    

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しかし狭く直角のコーナーばかりでわからない。

家庭菜園をしていたおじさんに聞いたら後ろを指してあそこだよと教えてくれた。

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背後から侵入するって四国88か所最終の寺に山から下りて入る時がそうで、芳しいことではないが。

 

しかし、しかしだ。思わず唸ってしまう。

ここは本物だ。

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境内、それより参道に残存する大木が証明する。

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千葉寺、市川の八幡神社、福岡の太宰府天満宮にある巨木に引けを取らない。

境内には私以外、たった一人。その男性はここにたどり着くのに10年かかったと話した。

境内から外を眺め、鳥居の向こうに参道が続いているのを知った。

前回の地図をよく見るとわかるが川から神社鳥居までほぼまっすぐな道が続いている。そこが正規、本来の進入路だった。

 

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別の日、もう一度正規の参内を。

目に入る光景がまるで違う。やっぱり、裏口入社はよくない。

 

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上のお宅は神社と無関係だと思うがあまりに雰囲気が良いので。奈良あたりでありそうな光景。

 

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案内板を見ても古いことは書いてない。

ネットで拝見した「猫の足跡」さんの記事がとても参考になるので引用させていただく。

  猫の足跡  https://tesshow.jp/chiba/

 この方の知識探究心は半端なく、素人には思えない

 (以下引用)

劔神社の由緒

劔神社は、日本武尊東征の際、当地の争乱を平定して総の国を上総・下総に分割、国境を定めたことに感謝して創祀したといいます。もと小弓(生実)の総鎮守だったといい、村が南北に分割してからは南生実村の鎮守となり、明治年間に村社に列格したといいます。

 

「千葉県神社名鑑」による八劔神社の由緒

日本武尊が御東征の折、相模国三浦よりこの地に御渡海なされ、争乱を平定し、東国を二カ国に分割して南を上総、北を下総とし永く国境とせよと命じられた。人々は御徳恩に浴し深く敬ってこの神を国家守護神と仰ぎ、東国鎮護征夷神八劔神社とし、天神社を併せ祀って崇敬した。大正二年四月神饌幣帛料供進社に指定される。元小弓村の総鎮守だったが、南北に分村するにあたり南生実の鎮守となった。 (「千葉県神社名鑑」より)

「稿本千葉県誌」による八劔神社の由緒

同郡(千葉郡)生實濱野村大字南生實字本郷に在り、境内五百八十五坪、日本武尊・天照皇太神・大巳貴命を合祀す、創建年月詳ならず。もと生實町の総鎮守なりしが、南北分村の後、單に舊南生實村の氏神となれり。大正二年四月幣饌料供進指定。(「稿本千葉県誌」より)

 

この神社は由緒も含めて非常に有意義な存在に思える。たどり着けて良かった。