古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総国⑤ 埋蔵文化財調査センター、大覚寺山古墳

 


八剣神社を出て、バス通り(千葉中央遺跡通り)に戻って北上。

埋蔵文化財調査センター入り口という大き目な看板があるのでそこで右折。

なだらかな傾斜を進むとすぐに右手の高台に建物が見える。

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資料も展示も豊富で勉強になる。生徒・学生の見学も多そうだ。

駐車場もあるので車で行ける。

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たくさんある掲示の中で一つをあげるとこれ

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千葉市だけで遺跡が1336か所!

旧石器時代の113から始まってこんなにたくさん。

東京湾内地域は遺跡だらけの様子。どうも畿内を特別視しすぎていたのではないか。

係りのおじさんに大覚寺山古墳を訪ねると玄関先に出て「あっちの方角で、すぐですよ」と教えてくれた。

普通の住宅街の中を進むとすぐにこんもりしたお山、そして立て看板。

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別の文書の説明は以下のとおりで立て看板と2か所違っている。
 なお、文中にある七廻塚古墳は今や公立学校の敷地になっている。なんとか保存できなかったものか。下総の国府内(市川市国府台)にある古墳は日本陸軍の基地内であったにもかかわらずに削られず、現在も国立東京医科歯科大キャンパス内にそのまま残っているというのに。

 

生実丘陵から南に派生する小支丘端部に位置し、主軸の方向を稜線に合わせ、前方部が北を向いた主軸長約66m千葉市内では最大規模の古墳です。墳丘の形態は、前方後円墳前方後方墳の両説があります。発掘調査が行われていないため定かでありませんが、墳丘形態、立地等に古式古墳の様相をよく残しており、築造年代は5世紀前半と推定されます。この時期は、南関東に古墳が出現する時期で、東国の古代社会を研究するうえで重要な古墳です。

昭和45年、宅地造成の際に発見され、史跡公園として公有化されています。

後円部に接して径10mの小円墳が所在しますが、陪塚の可能性があります。周辺の台地上にも小円墳が点在し、北東には発掘調査で石製品等豊富な副葬品を出土した七廻塚古墳が所在しました。

 

 ただし大覚寺山古墳は明るく芝山状態で直接登れるなど魅力に富んでいる。古墳とわからなかった時代も現在も子供がそこで遊んでいる。奈良の若草山にも似た雰囲気だ。

未だ掘られていないことも含めて一種の望ましい姿かもしれない。

 

入り口はわかりにくい。

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