古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代史(文献史学)と考古学

「千葉県の歴史」という電話帳というか広辞苑のような分厚い本があった。

 

          

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社史のような自己礼賛の書と思ったらとんでもない体系的良著だった。

網羅的内容で研究者にも、専攻する学生にも、私のようなにわかファンにもとても参考になる。

本のことは別に述べたいがここでは挟まれている、おまけ的な「しおり」について。

(書いているのは東大教授左藤 信さんで「考古学が語る奈良・平安時代」という題名)

 

 

以下引用

最近のめざましい古代史研究の進展は、考古学的な発掘調査の成果に大きく支えられている。

主に古代の史書によって構成されてきたこれまでの古代史像が時に書き改められてさえいる。

 例 千葉県市原市の稲荷台1号墳出土の【王賜】銘鉄剣や埼玉古墳群稲荷山古墳出鉄剣の銘文による5世紀代大和王権の歴史構造についての新知見

 

しかし時代が降って文献資料が量的にも質的にも豊富に伝えられている奈良平安時代

古代史像と発掘調査成果との関係となると、古代史と考古学の協力のあり方はやや違った形になってくるように思われる。

特に狭義の文献史学が残された史書・記録から資料批判の方法で国家・社会構造の全体像を明らかにしようとする一方、考古学は検出した遺跡や出土した遺物のモノに即して時代順の変化を把握する方法で社会・生活の実像に迫るということになろう。

 そして研究対象の性格として、前者の文献資料は中央政権に偏って伝えられ、後者の遺物は日常的な断片の域に留まるという側面も指摘できる。

こうした両者の学問体系の違いを無視して無前提に他方の説に乗りかかって安易に「利

用」するといったことは研究の成熟とともに慎むべきことになってきている。

 

 上の引用は数分の一。スキのない整った文章だ。