千葉寺界隈で足が止まって進まない。これではいつ京へ着くのか。
更級日記を世に出してくれた定家にかかわる冷泉家についての新聞2面の広報ページが魅力だったし(2021.7.4)、
(全景俯瞰図を隣の同志社大から撮っているが、私もそうした。人のやることはプロ・アマ変わらない。)
先日直木賞をおとりになった京都在住の女流作家の平安期にかかわる歴史知識,洞察の鋭さに驚いたところでもあり、いつまでも下総にとどまっているわけにもいかない。
(偶然にもこの女流作家は上の同志社大OGでした。)
ところがまたまた内容のある冊子が目に入ってしまった。
「千葉寺 いまむかし」 104ページがそれだ。2018年4月発行
発行に寄せる言葉:熊谷千葉市長(現千葉県知事)
発行人藤沢妙孝(現住職 女性) 文 増山良子 絵と写真 山崎弘子
作者の女性は主婦が時間に任せて、と謙遜するが上質な紙、豊富な写真、絵、有用資料が豊富でなかなかのもの。市販はされていないようでもったいないので少し紹介させていただく。
私が注目するのは次の点。
① 千葉市域にあった郷名記載の略図 p17
② 永暦元年(1160年)落雷による焼失の項。旧所観音塚にあったという「三界六道観世音旧跡」の石碑が現千葉寺に移されている旨及びその写真。p26
(私は石の状態、文字の刻みからさほど古くないものとの印象を受ける。)
③ 苦難のお寺の歴史(火災、廃仏毀釈その他)
④ 現在、行政は「千葉氏」を取り上げることが多いが、中世に栄えた千葉の町は千葉
氏滅亡後、江戸期は幕府の天領と佐倉藩の一部となっている一寒村に過ぎなかったこ
とを述べている。
千葉寺村小字図 p56
ここに記載されている字名は各種遺跡調査に関連しており、有用だ。
⑤数回に及ぶ発掘調査の項 p58以下
重要発掘品の写真が載っているのはありがたい。なお、次の点は要注意であろう。
「写真の説明文には、これらの出土品は県立千葉高校蔵になっていますが、本書をまとめる際に千葉高校に確認しましたが、所在は不明でした。」
近所の荒久古墳でも同様のことが生じている(現地掲示説明文)。土中に千数百年保存されていたものが発掘によって滅失されることになるとは。
その辺の保存・管理体制の適正化を促すような法整備はされていないのだろうか。
⑥千葉寺は真言宗豊山派(大本山長谷寺)であり、その教義、歴史についても説明をしていること。
歴代住職に真言宗中興の祖、興教大師覚鑁(かくばん)の鑁を用いている人が散見される。
⑦ 現千葉寺右側部分*には僧坊等の建物があったことを示す明治初年推測配置図を載せてくれている点。
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