古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総の国⑮ 千葉神社から北進して鉄道と市民会館にぶつかる。

吾妻町通りをまっすぐ進んで行く。

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街の雰囲気も変わってくる。

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地方道40号千葉神社通りに合流する。

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斜め左に進む。

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そのまま進むと鉄道にぶつかってしまう。

千葉市民会館が眼前に立っている。

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ここで古代からの道と推定する道は分断されてしまっている。鉄道ができる前はどうだったか。

 

 

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つい最近、ほんとにたまたまのことであるが交通系トップユーチューバー「スーツ交通*」を目にしたらここら辺のことをテーマにしたものがあった。

(793) JR千葉駅はなぜ移動した? 50年前の改造工事 - YouTube

 

なんと効率性・合理性のため千葉駅は現位置に移転し、旧驛あとにできたのが写真の市民会館とのこと。

 なるほ旧驛に向かって道路が集結している。

明治期の地図で「千葉停車場」を確認できた。

空襲で焼かれる前の大日寺千葉神社が並んでいるのもうかがえる。

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スーツ交通氏(横浜国大5年生)は時流に乗るだけの軽薄なユーチューバーでないことは確かだ。

 

鉄道北側にある綿打池は100年、いや千年来不変であろう。この右側にある道―房総往還ーにつながるよう頭の中でつなげるしかない。

古代の官道で生じた駅家の移転は現代の鉄道でも当然に生じている。