古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

手に汗を握るような遺跡の報告書 武田宗久氏と滝口 宏氏

以前、紹介した遺跡調査報告書*について

 非本質的な事柄かもしれないが、最近の整った役所的・公文書的報告書にはない、舞台裏の手に汗握るような、胸を打つ箇所があった。

発掘や調査にあたる人々の熱意や苦労が偲ばれるし、研究者への支援を考えるとき参考になると思うので紹介させていただく。

 

* 昭和40年3月付 千葉県遺跡調査報告書(千葉県教育委員会)

  項目 1千葉市蠣橋貝塚 千葉市今井町狐塚古墳 3市原市上総国府関係遺跡

  4宮の前遺跡出土のガラスについて 4千葉県松戸市千駄堀遺跡についての4報

  告。このうち、2と3について

 

 千葉市今井町狐塚古墳 武田宗久

「 昭和39年10月千葉市周辺の遺跡調査のため武田は本地区にさしかかると、古墳の後円部の土砂が盛んにブルトーザによって採掘されていることを知った。直ちに地主に相談して作業を中止してもらうとともに、千葉市教育委員会に通報し、同委員会は県教育委員会に連絡した結果、県の事業として発掘調査を行うことを決め、担当を筆者に委嘱した。

そこで調査団を組織し、調査員として武田宗久、川戸彰、小川宏一、(ほか3名)、補助員として千葉県立千葉高校郷土クラブ員が参加した。調査は昭和39年12月25日から40年1月6日まで実施した。」

 

発掘前に遺跡の現状を確認するため,同所の樹木雑草等をできるだけ除去し、写真撮影、測量、遺跡に関する付近古老の聞き込み等を行った」とある。年末年始の休みを返上しての超人的労苦だろう。敬服の言葉しか浮かばない。

 

市原市上総国府関係遺跡 平野元三郎 滝口 宏

 

昭和38年、1市原市山田橋字千草山遺跡と2 同市郡本字宮の前岩上、宮の前遺跡の一部調査を実施。

1は奈良時代末か平安時代とみられる~を~発掘したが地主の了解を得ぬため拡大発掘ができず中止

2においては (略)

八幡神社境内に部落公民館が知らぬ間に建設され、驚かされた。しかも、建築の地ならしは皆ブルトーザを使用して,遺物等は全然意識されていないので情けない話であった。

八幡神社境内公民館は地元において共有地なるがゆえに設置されたもので、敷地の断面に,土器片陶片等が包含された状態が無残に露出している。

 

(中略)

宅地化の速度は加速度的に増大しつつあり、国府遺跡の中核を未だに把握できないままにその消滅の危険が迫りつつある状況である。

(中略)

学生の冬期休暇を目当てに、調査要員の編成、現地調査基地の設営等を行ったところ、経済情勢の悪化に伴う予算削減のため、調査の見合せ通告を受け、日程の繰り延べを迫られ打撃を受けた。

 

 滝口氏は大学理事や学長を歴任し全国レベルの考古学者であったがその超人的ともいえる広範囲な行動を今になって初めて知った。氏につては別に述べたい。