古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

開発と業界―大学考古学専攻、教育委員会文化課(文化財保護課)・財団(埋蔵文化財センター)―

 岡山大文学部教授松木武彦氏の手になる「未盗掘古墳と天皇陵古墳」という本がある(2013年 小学館)。センセーショナルな書名で、ちょっとどうかとも思われるが、だからこそ人に手に取ってもらえるわけで、その書名に意味がないわけでもない。

 

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 読んでみると結構実になる点があり、有益だった。

氏は、最近のコメンテーターのように支持する立場の説のみを語るのではなく反対説も紹介しており学者としての立場は忘れていない。最終的に自説根拠に丁寧であるのは他と同じでやむを得ないだろう。

 

 長所は以下の点

1 現存する古墳だけで16万基もあること(コンビニ5万店の3倍以上)を知らない我々

 素人が知りたい初歩的なことを教えてくれていること。例えば

 ・考古学というとロマンという言葉が発せられるが、そもそもロマンてどういうこと

 ・トレンチとは

などなど、親しみやすい出だしだ。

 2 氏は流行の言葉でいうと とがっている面があり、普通なら業界外には言わないはずの業界内部のことにも触れている。

以下引用の点は圧巻。他の本には決して書かれることはないと思う。

 

 

(以下一部概略趣旨紹介 p70)

・1960年代から1970年ころに頂点に達した開発に伴う破壊古墳の調査ラッシュはその後の考古学や文化財保護行政を様々な意味で方向づけるものでもあった。

・「破壊を前提とした古墳の調査を安易に引受けることは、結局は其の古墳の破壊に手を貸しているいることではないか」という意見と「壊されるのは決まってしまったことだから、できるかぎりその遺物をレスキューして記録を残すことが古墳にとって最善の手段」という反論がある。

・破壊される古墳を発掘して得られる資料の魅力も各自の研究内容や思惑と相まって意見や態度に影響しただろう。

 ラッシュ末期には破壊する側の業者や組織から調査費が渡される場合も出てきて、そういう費用がらみの生々しい話も当時は聞かれたようである。

・当時の社会や国が行った選択は、特に重要な遺跡や古墳は史跡や文化財に指定して破壊から守る一方で、開発とバッテイングする普通の遺跡や古墳は「記録保存」と引き換えに消滅させるという方式。

記録保存とは開発側が費用を出し、行政側が事前の発掘調査を行ってその記録を公にして残すということ。

・こういうシステムが軌道に乗った1970年代後半、各行政機関に所属して開発に伴う事前調査にあたる専門職員がたくさん求められるようになり、1980年ころ以降各大学の考古学専攻はそうした専門職員の養成機関の体を見せ始めた。

 かくて考古学は食えない学問から食える仕事の一つになった。開発によて消される膨大な数の遺跡や古墳と引き換えにではあるが。