古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総国㉔v3 千葉街道を進む。 千葉市花見川、幕張から習志野市、船橋市へ

10.6追記

この項、遺跡は多くはないかに見えるがが距離があり、なかなか一気に書ききれない。随時補充していく。

話は脱線するが、先日総裁選があり、首班指名、組閣と続いた。その中で話題を呼んでいるのが当選3回目という若輩議員が大臣に任命されたことだ。

このK議員は大学ボート部主将で、身長が186センチあり、開成高校、T大法学部、財務省、ハーバードと進み、性格もよく、勉強もしていると絶賛中。

 

(開成をオーインに、財務省厚労省に変えれば「このハゲー」と年上の男性部下を罵倒し小突き、書類送検された女性議員に似た経歴だ)

 

加山雄三主演の若大将シリーズを越えるような感じ。レジ袋シンジロウ君の賞味期限は終了してしまったようだ。

 なんでこんなことを書いたのかというと小林議員の選挙区が千葉2区といって丁度千葉市花見川区習志野市らしくこの下総国㉔に重なるらしいので。

小林議員や選挙区のことなど全く知らなかった。それが組閣ひとつでこうも話題になるとは。

 

 

まずは地図概観から。

花見川右岸(西側)から浜田川へ向かう。

 

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千葉市花見川区幕張町6丁目→5丁目→4丁目、3丁目、2丁目、1丁目と進み浜田川を越える。

    5丁目

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1丁目
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浜田川を越えて町名は幕張本郷となり、現14千葉街道に合流する。その先は京葉道路幕張ICとなる。

 

幕張ICを越えると習志野市となるが、自転車に乗った若いちょんまげ姿の男性が目に入

いった。

?と思ったが後で地図を見て納得。こんなところに相撲部屋、阿武松部屋があったとは。両国近辺の不動産はお高いからね。

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幕張ICを越えると進行右側は習志野市鷺沼(さぎぬま)、左(海より)は袖ケ浦

 

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<浮嶋駅(千葉郡)の所在地>

山路直充氏は浮嶋駅(千葉郡)の所在地について次のように推定している。

船橋市海神付近、もしくは津田沼・鷺沼付近 

  日本古代道路辞典113

 

確かに鷺沼3、鷺沼1と、寺社や城址が散見される。

鷺沼城址公園は鷺沼古墳群の場所でもある。

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今回、立ち寄っていないがウイキペディアにかなり詳細の記事が載っている。

(以下引用)

千葉県習志野市役所から200mほど南にある標高約18mの八剣台と呼ばれる菊田川河谷左岸の下総台地上の「鷺沼城址公園」内に、前方後円墳のA号墳、隣接するB号墳の石棺が保存されている。

A号墳は前方部を南西に向けた、帆立貝形古墳やいちじく型古墳の様に前方部が小さい前方後円墳で、前方部南西端を除いて周溝があったことが確認されている。全長約25mの墳丘上には「源太様小祠」と呼ばれるが祀られていて、通称「源太塚」とも呼ばれる。1966年(昭和41年)の調査で下総型円筒埴輪が出土したことから6世紀後半の築造と推定されている。

南東すぐにあるB号墳もA号墳よりやや小さい、同じ向き・形状の前方後円墳であるが、墳丘は原型をとどめていない。A号墳の様に埴輪は出土しておらず、6世紀末の築造と推定されている。くびれ部付近で2基の石棺が発見されたが南よりの1基は既に破壊されていた。もう1基の石棺は長さ約2m、幅約0.8m、深さ約0.7mの大きさで砂岩凝灰岩を金属製工具で加工して造られている。中や周囲からは成年男性2体分の人骨片や直刀破片、土玉、鉄鏃刀子などの副葬品が発見された。現在は覆屋を設けられているが、常時外からの見学が可能である。

(以上引用)

津田沼の先は谷津である。

 

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浮嶋駅(千葉郡)の所在地について前述のとおり山路直充氏は船橋市海神付近、もしくは津田沼・鷺沼と推定しているが、武部健一はここ習志野市谷津1か所を想定地として掲げている。

 完全走破 古代の道 84頁

現在、谷津は谷津干潟というバードサンクチュアリで有名であるがかっては東京に近い海水浴場として有名な遊園地だった。

 

 

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谷津の先296号道路を越えるとはや船橋市となる。

なお、京成谷津駅と隣の船橋競馬場駅の中間あたりから船橋大神宮につながる房総往還路がうかがえ、歴史の色濃い船橋本町通りつながるのでこのルートを選択することにした。

 

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注)船橋大神宮(正式には「意富比(おおひ)神社」)

 日本三代実録に「863年(貞観5)5月下総の国従五位下意富比(おおひ)神に正五位下を授ける」とあるそうだ。

 927年に編集された延喜式の神名一覧に全国2861社の(延喜式)内社の一つとして「下総国葛飾郡意富比(おおひ)神社」と記録されている。

ちなみに千葉県域の式内社は20社とのこと

参考 船橋の歴史散歩(宮原武夫)

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神社でみたポスター。ニューウエーブか。

 

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船橋大神宮のところで左折し、海老川橋をわたって本町通りへ。

 

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船橋地名発祥の地とある。        

            

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海老川橋にある由緒書き。

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<本町通り>

 鉄道の船橋駅(JRと京成)と千葉街道に挟まれた本町通りはいかにも老舗という感じのお店が多く、魅力を感じる。ここで江戸時代に関するものであるが本町通りの全体像をわかりやすく教えてくれる市の案内板をみつけた。

やはり歩かないとダメ見たい。

写真を撮ったので紹介しよう。

これを参考に古代道ならぬ近世、近・現代を偲ぶ街歩きとなった。

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江戸時代ですらすぐそばまで海浜が迫っていたようだ。

東京、神奈川で耳にする何とか「御殿」というゾーンもあったとは。

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ビルに挟まれた厳島神社アメリカの名作童話「小さな家」みたいだ。

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道路に面するビルの中に船橋市立中央図書館があった。珍しいので入ってみた。

                    

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 買い物のついでに図書館に入れるのは便利かもしれないが私としては入り口に余裕のある方がふさわしいと思ってしまう。

 

端末で自己の名を入れてみると6冊あった。ありがとうございます。

郷土資料コーナーを見るなど暫時見学。

当然ながら飛の台遺跡の報告書も並んでいる。

 

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<西向き地蔵尊

 この通りで気になる箇所が一か所あった。

西向き地蔵尊だ。西向きにどういう意味があるのか。

1万分の一程度の詳しい地図でないと記載されていない。意識しないと通り過ぎてしまう。

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確かに右側=西向き=江戸方面を向いている。

 

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進むとだんだん外れとなり、日枝神社があった。

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 日枝神社の少し先で町名が本町から海神(一丁目)に変る。

JR総武線を陸橋で越えると房総往還と千葉街道も合一するが、合一する直前千葉街道から見えるのがこの式内元宮入り日神社の看板。

階段下に神社らしき建物が見える。

なんだろう。

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どなたも同じように考えるらしく検索結果を教えてくれるブログが多い。

前述の船橋大神宮(正式には「意富比(おおひ)神社」がかってあった所らしい。

紀州熊野神社もそうだけど寺社の移転は決して稀有なことではないようだ。

その理由は狭さか、水害か。

そういえばこの橋を渡る前に見た道路の海抜はとても低かった。

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航空写真で見ると二つの大通りと鉄道に囲まれた三角形内にあることがわかる。

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