古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総の国㉖ 船橋市海神と飛の台史跡

西向き地蔵尊を200mばかり進むと海神という地名になる。

その前にもう一度西向き地蔵尊の写真を。

右側の上總道(古代道)と左側1600年代の新設道(本町通り)の分かれ目になる重要なポイントとのことらしいので。

 

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右端の格子戸の中の石像が古いものらしい。

そのせいか痛むというか摩耗しているのかも。

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東京都葛飾区の「立石」はすり減って頂部が残っているレベルらしいし。

超長期保存は土中の方が良いみたいだ。

 

 

カイジンという独特の響き。

京成沿線にはママ、オニタカ、カイジンなどどこか変わった音の駅名=地名があり、昔から感じるものがあった。

 

 

 

 

 

何かを感じてしまうのは皆さん同じようで、前回紹介した「船橋の地名を歩く」でも

「3 海神の謎」という項目立てをして書いていらっしゃる。

(以下一部引用)

海神は船橋の歴史伝承の中でも特異な存在。ヤマトタケルが上陸した地と伝えられ、船橋地名の起源の伝承を語っている。古代に湊郷とも、貝ノ瀬ともいわれたのはこの地ではとも考えられている。

 船橋総鎮守の大神宮もここに元宮があったとしている。

江戸時代に入ると本町通りが船橋の中心になるが、それ以前は海神が中心地といわれ、それをうらづけるような「天沼千軒」という言い伝えもある。

 

 

さて、総武線を越え、本町通り・房総往還と現千葉街道は合流する。

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少し歩いて右手にあるセブンイレブンの脇をちらっと見るとなんだか先に魅惑的な坂道が見えてきた。

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思わず誘われるように入ってみるといい感じだ。海神公民館があったので入ってトイレ兼飲み物休憩。

じっくり地図を見るとこの公民間のすぐそばに京成海神駅があり、北方に少し歩くと飛の台遺跡があるではないか。

船橋に住んでいる知人にこの遺跡のよさげな話を聞いたこともある。

それに前述のとおり山路氏は浮嶋駅の所在地を船橋市海神付近もしくは津田沼・鷺沼付近 とする。

海神にある遺跡を見て損は全くない。行って見よう。

 

 

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古代道に関連付けられるのはせいぜい古墳時代くらいまでではなかろうか。数千年前の縄文時代はちょっと古すぎる。
しかし、そのことは別にして良かった。

1 遺跡自体は屋外にあって無料で見学できる。

しかも埋め戻しをせずに発掘時に近い状態で見学できるよう工夫している。表面処理をどうやっているのかそのノウハウを他の自治体に伝授してもらいたいものだ。

 

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2 博物館は有料、といっても100円ちょっとだが、それをはるかに超える価値を有する。 

壁に掛ける陳列は宇治平等院で見られる手法。先進的に思う。

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3 目玉は男女合体の遺骨か。

  別途

4 ものを燃やす炉穴のサンプルが圧巻

  発見は学術的にも価値の高いものらしい。

  7000年、8000年前の人がこんなに高度の工夫ができているとは。

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模型を見て思ったのが10年くらい前か、田舎暮らし、小屋暮らしでやたらにはやったロケットストーブの原理と近いこと。

下の穴に燃料を水平に突っ込み、奥に竪穴をあけ上昇気流で一気に燃焼させるもの。

ロケットストーブは確かアメリカの誰かさんの考案とか言っていたけど、縄文人も実施していたということではないのかな。

とにかく見どころ満載。

解説文も勉強になるし、もう一度行きたくなる博物館は私にとっても珍しい。