古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 下総の国 ㉘ 船橋から市川へ

この先のルート概観

市原市上総国府候補地から出発したが、次の下総国国府候補地(市川市国府台)がようやく手の届く距離になってきた。

船橋市以西から市川に至る全体図は次の地図のとおり。

古代東海道の立地するところは京成沿線の微高地になるが、その京成駅名を見るだけで雰囲気がわかる。

すなわち東中山、中山、鬼越、八幡、菅野、真間、国府台と。

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 なお、市川市は当方が言葉を覚える前から、すなわち赤ん坊の時から長年住んでいた場所であり、しかも歴史の濃い真間、菅野、八幡、国府台といった遺跡、国府域の真っただ中で生活していたので肌感覚で感じるものが少なくない。

 そのことでこの地域の千年前のことだけではなく近時半世紀の変遷、変化についても感じるものがあり一言二言言いたくなるものが出てきてしまう。

余計なことも語りたくなる点をご宥恕願いたい。

 

 では船橋本町通りを進み、前に話した船橋市海神の「入り日神社」あたりから。

 

JR線路にかかるかなり傾斜のある陸橋を渡る。

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降りて千葉街道と合流する少し前を左折する。

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集合住宅に挟まれた狭い参道

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こちらは上の14号から下りる階段

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由来の石碑

反射してよく見えないが日本武尊の伝承にかかわるもので、ものによって表現が微妙に異なる。

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延喜式神社の元宮というのだから沿革としては千年を超えることになろう。

 

通りに戻りすぐに房総往還と千葉街道は合流する。

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京葉道路、湾岸357号、16号といった道路ができる前の東京と千葉を結ぶ道は旧千葉街

道これ一本。

 

西船橋駅

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まだ残っている松の木

市川駅前の三本松はとうの昔に切られている。

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今、この道で遠くまで行こうとする人はいないと思うが、久しぶりというか何十年ぶりかで歩くと東京湾の砂浜埋め立てが始まる前の昭和時代の雰囲気がまだ残っているのに感動する。

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下の写真で左が東京・市川方面、右が千葉・木更津方面。道路の少し奥が段丘周縁部。

そして並んでいる木々は松の木。道路手前は海岸。

これこそが市川まで続く古代からの典型的な海岸通り風景。

 

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今回初めて知った風景があった。

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なんだと道路左側に降りてみた。

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湧水とか降り津という文言が見える。高台の下には当然に絞り水が流れるわけで昔の人は大切に使ったのだろう。

池のふちに生えていた数珠玉が新鮮だった。

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少し歩くとまた同様な箇所が。

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葛飾湧水群と言うらしい。

そうか下総の国の中で千葉郡から葛飾郡に進んでいるのだ。

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図中にある多聞寺

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道路バス停の表示は地名を知るのに役立つ。本中山一丁目とある。

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市川市に入った。

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ここで左折して大規模再開発地点コットンプラザに行くことにした。

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目的は鬼高遺跡と市川図書館に立ち寄るため

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