古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

更級日記の道 下総国2 江戸川から隅田川②ー江戸川(太日川)を渡った地点

 将棋ではないがルートを考えるには次の手(地点)、その次の手(地点)と、先、先を考える必要があろう。確かに市川近辺の千葉街道(国道14号)は古代東海道を踏襲していようが、そのまま延長するのはいかがなものか。

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市川広小路 正面:市川橋・東京 右国府台・松戸

市川広小路をまっすぐ進んで市川橋を渡っても千葉街道はすぐ左折してしまう。まっすぐというと蔵前橋通りとなるが、この2ルート先方地の古代はどうであったのか。

おそらく低湿地で進めたもんじゃないと思う。更級日記の記述にある馬に乗っている男の背にある弓の先まで葦が触れるレベルを超える状況かもしれない。

イメージとしては市原市古市場先のベイシア前の草原が近いのではと思っている。

 

租税物品の輸送,蝦夷征伐軍送り込みを可能ならしめるような最低限の乾燥・安定した道が必要であったはず。

そのぎりぎりの南の線が東京低地内の微高地の上小岩遺跡通りであったのではないか。

 

松戸市の矢切や栗山となると、都と常陸間を移動する人は下総国府のお役人に挨拶するには途中でいったん南に進路変更しなければならなくなる。

安房・上總の支道からくる人は途中下総国府を通る点は便利だがそのあと北に進み、川を渡ってから上小岩遺跡通りまで南下することになっていずれにせよ不経済に思える。

 

ちあきなおみの歌や地名の音に惹かれて矢切の渡し近辺(手前の松戸市栗山を含む)としたい気もわかるが、そうすると豊富な知識のある方は柴又八幡神社古墳や正倉院文書(島また里)に引きずられてどんどん北回り志向に陥ることになってしまう。中には埼玉県大宮の氷川神社周りなんていう人までいるようだし。

 それではこの先、谷中→本郷通り→皇居→大井→中原街道を経て神奈川へ、と考えている者にはちょっと。

 

私は武部健一氏の豊嶋駅(台東区谷中)から来た直線道は、そのまま一直線を延ばすと江戸川を渡ってすぐ国府台の台地の先端付近に達する。」

東海道はここに到着した後は二手に分かれる。一つは1キロほど南に下がってから海岸沿いに上総国府を経て安房国府へ達する房総路である。もう一つは東海道本路で、ここから北へ向かう。」との技術者らしい合理的な考えに賛成する。

 

「到着した後は二手に分かれる」の具体的箇所について当該箇所が生活圏だった者としてフォローさせていただく。

 

 上小岩遺跡通りを東に進んで江戸川にぶつかってどうするか。江戸期の浮世絵には断崖絶壁が描かれていて直進はできなさそうに見え、多くの人はこの先の進路を語らない。

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上小岩遺跡通りの対岸は難攻不落の絶壁ではない。里見公園(明戸古墳)と東京医科歯科大教養部(法皇塚古墳は道のすぐ脇)という二つの前方後円墳の間には十分と言える道がある。

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下は里見公園内明戸古墳

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下は東京医科歯科大学

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 川を渡ってすぐのところには絶え間なく水が湧き出ている井戸(羅漢の井)がある。自身の知見としては50年以上前から、浮世絵には150年前の光景が描かれているが、地形からいっても千年前からそうだろうし、今後も千年もつと思う。

付近の集落の水需要を賄うに足りると思う。

 

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井戸の先はすぐ川。対岸の江戸川区が見える。

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ここら辺の岸は底の浅い船の係留に向いている。

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 坂を戻って上がれば割とすぐに二手に分かれる地点となる。現況では国立国府台病院正門付近となる。

ここなら常陸に行くにも上総に行くにもその交接点だし国府のお役人にもすぐ会えるしと、何かと便利であろう。

 

 

(もっとも、千年前の道が多数の者が通るに充分であったか否かはわからない。その場合は、川の少し上流里見公園の先から上に上がる道を使ったかもしれない。坂川から流出する土砂堆積による平地部分も広くその点の利点はあったと思う。)

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なお、本項の解釈は井上(いかみ)駅の場所がどこかという論点に関連するが、このあたりについては今後下総国1で触れたい。