古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 更級日記の道 下総国(江戸川から隅田川)④ 新中川・中川・荒川へ

三和橋の先に富士山が見えている。

左には葛飾区立の奥戸小学校や体育館が見えている。

 

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このルートで気になっていた一つが奥戸小前にあるという古代東海道を説明する掲示板だ。

ネットでもよく撮影紹介されている。

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そばまで行ったが見つからず、校舎を左周りで一周し前の道に戻ったらあった。

無駄な歩きでした。

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看板は新調されていた。

平城京に至る、なんとウイットに富んだ説明だろう。

 

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上が南。管轄への配慮?江戸川そばは点線。

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地図にある南蔵院立石様があるがゆえにこの道を選ぶ。なかったら400mくらい並行して南を走る奥戸街道を選択する人が増えるだろう。此方も下が北。

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奥戸小の先にある環七をクロスして中川にかかる奥戸橋に向かう。新中川から450mしかない。

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中川の川幅は広く、堤防は垂直で、怖い感じのする水面だ。

 

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かって古墳を擁していたという南蔵院は道路に面しているのでわかる。

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立石様

が、立石様は標識等がなく、まったくわからない。

道路反対側にある熊野神社に行って付属の幼稚園職員に聞いた。

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門を出て南蔵院の先を中川まで歩き、右折して少し先をまた右折せよとのこと。

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行き当たりばったりで何とか。ネット地図にも記載がないが、ここだろう。

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追加 税務署が探すときの目安になる。

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日本の古代遺跡32(東京23区)保育社p80は稲荷神社の境内とするが立石祠(ほこら)

は立石児童遊園内にある。(かっての帰属はわからないが)

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これが噂の。

 手前の鳥居も小さく,中の石柱はかろうじて頭を出している。

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先を進む。

湾曲する中川に沿って西進。

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奥戸橋。

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ここで痛恨のミス。右折すべきなのに渡ってしまった。

1Km歩いたところで市川方面の表示を見て愕然。

奥戸3丁目交差点のMACに入ってコーヒーを飲みながら地図を確認。

橋=わたると固定観念。2㎞の損失だ。

日が短い秋の日なのにまずい。ピッチを上げよう。戻って橋の前を右折。

京成押上線に並行する奥戸街道上りとなる。

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本田小前

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平和橋通りとクロスするところ。

京成線踏切もあってわかりにくい箇所。

 

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ここら辺、東京低地と言われるところなので古代当時がどうであったかイメージし、また数多い川、特に変遷著しい中川、新中川あたりについて次項で見てみたい。