東京低地湿原イメージ
湿原であった東京低地のイメージとして参考になるものを挙げたい。
上総の国と下総の国の境当たり、現市原市と千葉市の間茂原街道沿いに出水の多い広範な湿地帯がある。
都市圏であり、いつまでも開発から免れ得ないと思うので取り合えず現況を記録(2021年夏)。
東京低地=下総の国葛飾郡はこんなものだったのでは?
水田になっているところは手が入っているからまだいい。
それでも手が入らない端には葦が生えてくる。
同じ地域でも放置状態のところはこうなる。
こうなると馬に乗っても踏破は困難だろう。(2021年12月)
中川と新中川
江戸川から墨田川には計6の川が流れている。(葛飾区作成の表示に加筆)
このうち2⃣と3⃣について
中川、新中川の流れる形はどう見ても変。あたりは昔から洪水が多く、流域の民は苦労したようだ。
為政者も現代にいたるまで労力を費やしている。
小学校に入る前、総武線の車窓から大人が川を作っている光景を見た記憶があるが、新中川だったようだ。完成は東京オリンピックの前年だったとは。
葛飾区が立て看板やネットで有益参考情報を公開する姿勢に頭が下がる。
葛飾区史 ttps://www.city.katsushika.lg.jp/history/child/3-5-144.html
埼玉県羽生市から葛飾区の中央を流れ、東京湾に注いでいる中川は、ものを運ぶ船の水路として活用されたほか、川の水を多く利用する工場が建てられたりするなど、葛飾に多くのめぐみをもたらしてきました。
しかし、大雨や台風でたびたび堤防がこわれ、地域に大きな被害をもたらすこともありました。特に、1947(昭和22)年9月のカスリーン台風では、中川の堤防も決壊し、葛飾区内のほとんどが水びたしになりました。このような水害を防ぐため、1949(昭和24)年に中川放水路(現在の新中川)の工事が始まり、1963(昭和38)年に完成します。高砂で分かれる新中川の完成により、多くの土地が失われましたが、中川流域の洪水の危険性も減りました。高砂1丁目の新中川通水記念公園は、新中川の完成を記念して1972(昭和47)年に整備されたものです。