前回、明治13年~19年の迅速測図原図に隅田川貨物駅の広大な線路が見えているのは早すぎないかと疑問を述べたが、歴史的農業環境閲覧システムの解説をよく読むと「現在の道路(赤線)、河川(水色線)、鉄道(灰色)」と書いてある。
黒っぽく見えた鉄道の軌跡は灰色の現在の姿ということのようだ。線路に直交する道 ― これは黒色とみるべきことになる ― をおかしいと思っていた謎が解けた。
歴史的農業環境閲覧システムとは?
独立行政法人農業環境技術研究所 農業と環境 No.97 (2008年 5月1日)
「農業環境技術研究所は、明治時代初期に作成された地図 (迅速測図) をインターネットで閲覧、利用できる 「歴史的農業環境閲覧システム」 を構築し、4月18日と19日に行われた農林研究団地の一般公開で来場者に利用していただきました。4月21日からはインターネットで公開しています。」
ドラッグして左に移動したのが次の地図。江戸時代後期には、現464号(旧日光街道)がかなりの幅広の道として使われていたことがわかる。
明治通の前身は貫通していないようだ。当方が推定したその上の矢印と赤丸をつけた道の方が全体として筋が良いようだ。これで考えたい。
下の現代の地図で見ると
☆は南千住3丁目交番前の交差点
E は明治通
通る道はCかDでこのうちCを選択する。
464号線を渡る。南千住2丁目だ。
はるか遠くまでまっすぐ。江戸時代からその様子。
先に建物が見えていて行き止まり?
ではなく、左にカーブするところ。どこかと同じ。
直線部が終わる少し前で荒川区から台東区に変わる。三ノ輪2丁目。
区境台東区側に「改栄湯」という銭湯があり、注目を集めている。経営者の意気込
はネットでも伝わる。
各種地図にもこの銭湯名が記載される。
ここで少し左に曲がる。
交通形態の超密集箇所だ。
鉄道はJR常磐線、つくばエクスプレス、地下鉄日比谷線、都営荒川線(路面電車)。
道路はといえば、金杉通、昭和通(日光街道)、国際通、明治通(土手通)。
どういう地形になっているのか、どこをどう行くべきか見当がつかない。
ブラタモリならこの道〇十年の地元教育委員会学芸員や大学の先生が登場して説明をはじめるのだけど。
事前に調べておかないと。
現場で面した説明がこれ。「奥東京湾に突き出た台地の先端部」という言葉がヒントになりそうだ。
実踏に出た当日はどうしようもなく、帰ってから地図をじっくり検討しはじめ、しばらくしてようやく一つの推論が出てきた。
音楽家は指揮者も楽器奏者も楽譜を読み込むのが勉強というが道路を考える場合も地図を読みこむことは不可欠に思う。
(以下骨子)
現明治通りは三ノ輪2丁目交差点で右に急カーブしているが不自然ではないか。明治通りになる前の古い道で上記交差点をそのまままっすぐ進む道がある。
右側に梅林寺(東泉小の反対側)、左側に東泉小、東盛公園、寿永時が並ぶ。
そしてこれまで述べてきたC路,D路は左に緩やかなカーブを描きながらこの道につながっている。
この考えを地図に落とすと次のようになる。
以下、梅林寺と東泉小