古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 武蔵国⑦ 浅草から上野は考古学上重要地域

f:id:hen-un:20220130200725j:plain

関東の考古学という本があった(1991年初版、学生社)。執筆者7人中6人が関東の大学を出て関東の大学や公的機関で職に就いている中、一人同志社大を出てそこの教授をしている方がいらっしゃる。森 浩一という先生で大変高名な学者らしい。

 ちらっと拝見すると、やたらに関東のことに詳しい。門外漢・にわかファンの私がこのブログで触れた散歩レベルの千葉市花見川のことまで水上交通関連で深いところを書かれている。

学部や出身は関東?と思ったが生粋の関西人。一流の学者先生は日本中のことをこんなに深く勉強されているのかと驚愕かつ感銘。

 

その中でインパクトがあったフレーズがある。

利根川が現在のように銚子の方に流路を変えたのは17世紀の初め。昔の自然の流路の復元は難しいが(西関東の水は)、現在の隅田川や荒川にかけての一帯に出口が推定される。

浅草は古い川筋を考えると、関東全体で大変重要なところ。」とし、浅草から上野公園にかけてを明治・大正の頃の考古学者同様重視すべきことを述べている。

 

 

もう一つ興味深かったのが関東の地域構造について北関東と南関東にだけでなく西関東と東関東に分けて理解することを提唱する点だ。

西と東の間にすごい数の沼または沼の痕跡あることに着目している。東京低地とその北部の湖沼・湿地郡が東西関東の中間地帯となるようだ。見沼用水あたりは含まれる典型か。

西関東地域では埼玉古墳群、さらにさかのぼって前橋・高崎の大古墳群があること、

一方東関東地域では東京湾の千葉県側から印旛沼に至るまで陸路で行き、陸路が終わって船に乗って行ける場所に注目すべき竜角寺古墳群があることに着目する。

氏は近畿についてAルート、Bルートをわけ後者に属する奈良は結局Aルートに属する京都に権勢を奪われることになぞらえ、交通網の点で不利な東関東は西関東に劣位することになると言いたいようだ。実際そうかも。

ただし、近くない海上交通では「千葉県の木更津や市原のあたりは西関東ルート、東関東ルートともに使うという二重の意味で繁栄しますが、あの辺の古墳は遺物が大変豊富です。」と記している。

 

追記

① 大塚初重(はつしげ)氏は全国のおすすめ古墳の一つとして金鈴塚(きんれいづか)古墳

 を挙げる。ー 千葉県木更津市。後期古墳 —

 飾太刀21本、金鈴5個をはじめ200点以上の須恵器金銅製馬具などとてつもない量の豪華な副葬品が出土しており、中央の大和政権と相当濃厚な政治的関係を持っていたのだろうという。(2014年 「大人の探検 古墳」実業の日本社)

② 2021年10月7日だったと記憶するが東日本大震災以降久しぶりに関東に震度5レベルの地震があった。震源地は千葉県北西部でそこの震度は5、なのに離れた東京都足立区では震度6に達したらしく不思議がられた。東西関東の間に位置する縦の地域の地質構造に原因があるとする報道があった。