森まゆみさんは自分の町と感じる「やなか、ねづ、せんだぎ」について25年間地域雑誌「谷根千」を発行してきた。
その地域について江戸開府以来、現在まで関係する地図を1冊に集めて町の歴史を読み解こうとする本が「谷根千 地図で時間旅行」。(2015年 晶文社)
1457年の「長禄年間江戸図」から古老の記憶に頼る鉛筆書きの地図までを駆使し、ご自身のファミリーヒストリーも交えての労作となっている。
箱根駅伝じゃないけど、幕府、大名、明治政府、東京帝大、高度の文化人などがうごめく地域ゆえ、全国区的な話となってくる。
森さんは出発が出版社の編集者らしくお書きになる文章には文学性より雑誌の記事的気質を感じる。
前書きとあとがきに感じるものがあった。例えば
*江戸の痕跡はいかに多く残っているか。坂や橋の名、交差点の名にも。旧武家屋敷のあった台地上には現代の武士ともいえる国家公務員が公務員住宅に住んでいる。
*20代で地域雑誌を始めた私ももう60で、十分土地の古老になった。
年を取れば取るほど、自分のかつてが懐かしく、思い出だけで生きていけるような気になる。レトロ(懐古趣味)と笑わないで。懐古も人生の楽しみの一つです。
本文で特に参考になったのが
その1 「根岸谷中日暮里豊島辺図」
これはネットでも多く紹介されている重要な地図。陸軍迅速測図でははっきりせず、気になっていた音無川の姿がくっきり描かれている。大関横丁の大名、旗本の屋敷が音無川の流れを引き込んで?堀にしていることがうかがえる。古代からの道と言えるか微妙だ。
その2 松平屋敷
家光の信頼が厚かった知恵伊豆こと松平信綱の屋敷は戦前までは子孫の大河内正敏子爵(理研創始者)の邸で、その孫にあたる河内桃子さん(女優)もここで育ったという。
大河内正敏は最後の大多喜藩主の子。知人に同藩の城代家老の子孫がいて、子供のころ祖母と年始の挨拶に行くと河内桃子さんがいて祖母はおひい様とひれ伏したと聞いたことがある。その家かも。
江戸時代の谷中・上野に関する切り絵を見ると不忍池があってその右側に必ずや松平屋敷の区画が描かれている。当時でもよっぽど広かったようだ。
ただしそこが今のどこになるかわからない。それが森さんの本に紹介されている東工大名誉教授手書きの地図で、その家の跡がわかった。都立上野高校の向いのようだ。迅速測図に落としてみた。