下総の国⓴で触れた施設
千葉大キャンパスの少し先、稲毛駅の前あたりでこの前の道を通った。
まさか、ここに何度も石原慎太郎氏が治療に来ていたとは。
2年前、氏が87歳のときらしい。
追悼の意味であろうかその時のことについて書かれた手記が文芸春秋社から公開されている。
五木寛之氏同様、頭は明晰、よく記憶し、語彙も豊富だ。
以下一部引用
千葉市の稲毛にある国立の施設に飛んでいった。それは千葉市の一画にある広大な施設で、放射線での治療とそれ以外の施療、採血検査やMRIやエコーに依る検査を行ったり各分野の診断や治療に携わる医師たちの勤める本館と、施設を運営する理事長以下幹部が割拠するヘッドクォーターの建物、そして離れた一画に現代における最先端技術である重粒子線を駆使して癌治療を行う本丸の建物があった。
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https://bunshun.jp/articles/-/51820
2.1逝去の石原氏に追悼文を書いたばかりの「苦役列車」作者西村賢太氏が2.5に54歳の若さで亡くなった。何とも。