古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 武蔵国⓭ 実踏:東日暮里から桜田門① 善性寺→芋坂→天王寺→三崎坂→団子坂下

 この日(2022.2.23)、地下鉄日比谷線三ノ輪駅を降り(荒川区東日暮里1丁目・台東区根岸5丁目)、皇居桜田門まで通しで歩いた。

 大げさであるが私の人生でこれほど新鮮で有意義な1日はなかった。大学が三つ(日本医大、東京大、明治大)、全生庵など有名なお寺がいくつか、遺跡が二つ(天王寺貝塚弥生土器発見地)、文学者旧居などが三つ(森鴎外夏目漱石幸田露伴)、まったく知らなかった太田道灌子孫ゆかりの緑地(千駄木ふれあいの森)などツアーで行くおざなりヨーロッパ旅行よりよっぽど深く有価値。

 流行の街歩き、健康維持散歩、地方学生さんの東京見物にどうでしょうか。この間、交通費0,入館料0(途中の過程を大切にするため入館せず)。

 

大関横丁から現暗渠になっている音無川を進んだ。

都立竹台高校前交差点で尾久橋通り(58号)に入る。

少し進んで斜め前方細めの道に入る。

 

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と、すぐに右側に善性寺の築地塀

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隼人稲荷は同じ敷地内の右端にある。中の祠はなぜか鉄格子で保護されていた。(写真は撮らなかった)

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こちらが左隣にある善性寺山門

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思ったより小ぶり

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さて谷中への登りは漱石,子規への敬意表出というより先で通る団子坂への流れから芋坂を選択した。

 

団子屋の右わきを入る。

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立派な王子街道、芋坂の案内石柱

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ガードの下をくぐる。

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いました。ご存じ鉄道マニア。マイクを装着している人が多い。時代だ。

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途中格子間から線路対岸の墓地を撮る。

キリスト教墓地が外れのがけ下にあり、そこの法面が貝塚発見地とのことであるがどこが入り口かわからないのでとりあえず。

 

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参考に渡った先の児童公園脇の行き止まりの道に行って見た。

線路が通る前はここから団子屋の前まで道が通っていたと思うので。

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登った先で二股に分かれるが、キリスト教墓地に行くためあえて左折

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これがそうか。洗礼名と十字架が刻んである。

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線路に沿って南に歩くともう一つの架橋にぶつかる。

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戻って天王寺に向かう。

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この少し先までのルート

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安立院(あんりゅういん)の脇を通る。

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かって安立院は天王寺の内部組織であったことがわかる配置

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天王寺の伝統的な門前に出た。日暮里駅から歩いてくるとこちらは見えず、車が入る左側の門がすべてと誤解してしまう。そう書く人が少なくない。

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もう一度確認。こっちの地図がベター。

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千年前はお墓はなく三崎坂まで直線で行けたと思うが、お墓だらけの今はそうはいかないので墓地内メイン道路を行く。

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すぐに焼失した五重塔跡前に出る。

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参考までに五重塔を書き、樋口一葉の理解者であった幸田露伴旧居跡を(左下のお墓前)。

毎日お墓を目にするのは気が晴れないのでは?

住んでいた期間は長くない。晩年、没するまで住んでいたのは市川市菅野。

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大きな交差点らしきところがあり初めてだとわかりにくいかも

 

こう来て

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こうなる。この部分の地図は次に

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以下実写で

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三崎坂上。ここら辺は両側に寺院がたくさん。

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その中でも有名なのが全生庵だ。

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三崎坂(さんさきざか)はかなりの傾斜。昔はもっときつかったはず。

底部(根津谷)に近くなり、変わったデザインの谷中小学校に接する。

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朝日湯

普通の公衆浴場に行ったことは何十年もないので記念撮影。4人家族が行ったらかなりの出費になる。

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底部はかって露出していた藍染川でびわ橋が架かっていたことになる。右折(写真中央)すると「よみせ通り」で、先で有名な谷中銀座入り口にぶつかる。

左折すればこれまた有名なへび道だ。

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直進してすぐに不忍通りとなる。

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向こう側に地下鉄千駄木駅入り口と団子坂の入り口が見えている。

なんで三崎坂(下り坂)+団子坂(上り坂)のルートにしたかというとこの上野台地と本郷台地を結ぶラインは500年以上の歴史があるらしいので。

決して文学作品に多く出てくるからというわけではない。

次回は団子坂登りと森鴎外旧居跡から。