古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 武蔵国⑮    3⃣日本医大→漱石旧居跡

薮下通りに戻り、進む。

方角的にはどこかで右折することになるが、期待していた案内表示はない。

多分このあたりかと勘で入ったのが下図の解剖坂。

 

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少しのぼりとなる。日本医大の建物が多い明るい高台。

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突き当たって右側すぐにあった。

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祝日のせいか散歩中の父と幼い息子がいて、父が「塀の上を見てごらん」と言っている。それを耳にして私も見た。

 

 

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おや、面白い。ちょっと太りすぎの感じもするが。

このあたりで「吾輩は猫である」が書かれたかと思うと感慨深い。

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 車谷長吉さんは晩婚・初婚同士で結婚した高橋順子さん(詩人)から出身の東大近辺に住みたいとおねだりされて駒込千駄木町に家を求めたと書いている。

確かに千駄木は高台で日当たりもよく、それでいて広尾や南麻布同様全国区でない静かなところがいい。

外房出身の高橋さんも通学して初めて知った地域であろう。バブルの時、千駄木の住宅地で坪1千万したらしい。