武蔵の国㉒で古代東海道のルートと考える二本榎通りについて述べたばかりであるが、近世以降も色々歴史が濃いようだ。
この、お屋敷、もとは細川藩の屋敷であったようであるが2年間、上皇の住まいである仙洞御所(仮)であったとは知らなかった。二日前、葉山御用邸に移り、そのあとは新規の仙洞御所へ移るとのこと(ニュース)。
近所の幼稚園がドングリを拾わせてもらい、園児が見送りをする映像が映っていた。
また、前述の都営アパートが大石義男自刃の場所で記念碑が建っているとは知らなかった。
平安時代、中級貴族の菅原孝標一行が地方任官を終えて帰京する同じ道を当時のトップの末裔が今の時代に通ったと考えると感慨深い。
追記 2022.4.27読売新聞