古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道 更級日記の道 武蔵国㉓ 高輪台→五反田、荏原、中延、旗の台、洗足、雪谷→丸子橋へ

1号線(桜田通)に出て高輪台駅先ですぐに港区から品川区に変わる。

さほど遠くない五反田駅にかけて驚くのが坂道の傾斜度。

こんなに高度差があるとは。

そして長い。

東京の坂道について書く人、書かれた本は多いが、坂道の大半は短めだ。

ここは長い。

これじゃ昔の人は人力の車で荷物を運ぶのに難儀しただろう。海沿いに東海道ができたあと、そちらを利用するはずだ。

進行左手(東南側)に「島津山」という名称が多く残存することに合点がいく。

駿河台の神田山と同じだろうと思う。

有名な新興宗教団体のビルがあり、

 

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雉子神社というお宮があった。由緒ありそうな立派な門構えであるがお宮本体が見えない。変だなと思いながら通り過ぎたが後でわかった。

色々な事情があったのであろうビルが建ち、その奥に囲まれるように位置していた(星印)。

 

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少し先の左脇に入る道を覗くとかなりの急坂。尾根道を歩いているのがわかる。

下に見えるお寺は宝塔寺だろう。f:id:hen-un:20220416134955j:plain

 

その先には清泉女子大がある(旧島津公爵邸 :東五反田3丁目)

 

 

五反田駅に近づく。

わかりにくい。大関横丁交差点のような感じだ。

それゆえか交番の前に大きな地図がある。

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先にある中原街道口を目指してそのまま桜田通を道なりにまっすぐ進んだ。

目黒川にかかる五反田大橋

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しかし後で知った。

明治初期にはこの道はなかった。

ひとつ下流にかかる大崎橋を渡る道しかなかった(こちらが都道2号)。次の比較地図でわかる。

駅前の再開発でそのあたりの痕跡は見いだせない。

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西五反田

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中原口

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駅前から旧道(都道2号線)で進めば、この中原口に直結する。

 

地名を言葉で聞くと、とてつもなく遠い感じがするがここから県境丸子橋までわずか7km。

7kmは都会での感覚では遠いが2時間歩けば神奈川県。

 

中原口に入ったとたん、人生裏街道というムードが漂ってくる。高速2号目黒線のガード下となる

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ちょっと休憩に喫茶店、ファミレスにと思ったがしばらくの間、見当たらなかった。国道16号線的な産業道路的雰囲気。

星新一というSF作家がいたなあ。

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まもなく平塚橋交差点。越えると進行左側は中延となるが、中延は西中延、中延、東中延とあって広い。

中延で東に曲がって大井町に進むのが古代延喜式ルートとするようだがどの道か?

一本でつながるものは見いだせない。

 

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旗の台に入り、だいぶイメージも明るくなってきた。

昭和大学の建物が集まるゾーンとなる。コロナでよく登場する先生はここの病院だったか。

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記念館と昭和大病院との間の立会道路は桜並木となっている。

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学校が続く。

品川区立清水台小学校

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 香蘭女学校

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その隣にある三光教会の雰囲気が良い。品川区旗の台6丁目。

聖公会の建物のデザインはなぜかアットホーム。目白駅先の教会もそうだった。

東京カテドラルと対照的。

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三間通り
 さて、東急大井町線ガード下とその先、環状7号長原陸橋の間の短い300mくらいの間に左折して始まる3間通りがある。
これが異様にほぼ直線的に連続する道でしかも大井町にも何とかつながっているのだ。 自転車で走行してユーチューブにあげる人もいる。

 しかし、江戸川区小岩から隅田川までほぼ直線的に進む道のように古代道かもという人は見当たらない。たまたま都市計画でそうなっただけなのか。

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環七を越え、洗足坂上

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おや、大森6中校庭の先に

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ちょっと寄り道

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洗足池図書館

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ところで、洗足池の北側、駅名や町名に「千束」という文字を当てているがいわれがあるのだろうか。台東区の旧吉原遊郭界隈の現町名が「千束」であり、ドキッとする人もいるが。

ボートが浮かぶ池風景にはついていけない。道路の反対側から証拠写真を撮ってパス。

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環八をクロス

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多摩川手前の11号多摩堤通りが近い。

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丸子橋到着。午後3時だ。皇居桜田門を出たのが8:40なので寄り道,食事等を含めて6時間20分ということになる。

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この数年何かと話題になる対岸、武蔵小杉駅界隈の超高層マンション群が見える。

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橋の途中で東京側を振り返ると

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東京東端、江戸川で見る市川市国府台の風景にとても近い。

 

みどりの丘陵、そこにある前方後円墳、背後の良質住宅街と。

3月28日の日は長い、まだ2時間は歩ける。

多摩川台公園の古墳群、そして隣り合わせの田園調布住宅街を見に行こう。