古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

理系考古学者の卓見

「考古学を科学する」という本(2011年 臨川書店)で中條理一郎氏が書かれている「はじめに」の内容に驚いた。

「はじめに」であるが7頁と長く、しかもその内容が考古学に関しての文科系と自然科学の考え方の大きな違いのみならず、広く学問一般に通じる問題点を指摘する一大論文になっているからだ。

「持続可能性」が社会経済制度や環境問題に広く通じる言葉になっているのと同じような印象を受ける。

一部を紹介する。以下引用

 今から40年ほど前に、大学紛争で多くの大学が荒れたことがある。

その時、紛争学生の間でバイブルのように読まれた羽仁五郎の「都市の論理」という本があった。学生の考え方がわからないのでは、紛争への対処の仕様がないということで、文科系、理科系を問わず、多くの教官にも読まれた。

 理科系の教官の反応は「呆れてものが言えない」という感じであった。たくさんの文献が引用されており、その意味では著者はよく勉強していると言えよう。その後がいけない。自分の主張にとって都合の文献とそうでない文献へのふるい分けに終始している。そして、前者は「この問題はすでに〇〇によって議論されている」と自己の主張の補強に使われ、後者は「こんなバカななことを言っているのが」と切り捨てられる。

 なぜ前者は優れており、後者は取るに足りないかを論証することから学問は始まるのに、そういう客観性はどこにもない。

微分方程式を解いたり、実験をしたりして客観性に近づける努力こそが学問であるのに、その片鱗も見られない。都市の非論理もいいところである。

 考古学は実験や発掘を伴うだけに、文科系の中では客観性がある方である。しかし、ここで「コミュニティー」の語が威力を発揮する。他の分野の文科系の研究者と長年接している内に、文科系としてのマジョリティーの考え方に染まって行く。異なる学問間で個別の情報の交換をするだけでなく、もっと大きいところで学問への接し方についても情報の交換をすることが必要である。

 文科系の研究者には「都市の論理」よりもっとタチの悪い引用の仕方をする者も見られる。自分に都合のいい結論が得られている論文は引用するが、そうでないのは頬かむりをして無視するのである。理科系ではそんなことはしない。引用した上で、論理を尽くして反論を試みる。自己の反論が正しければ、相手の不十分さを指摘し、反論ができなければ、自己の今までの主張は誤りであったと謝る。これが学問というものであろう。