古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

上総の国⑭ 稲荷台1号墳記念広場の風景

上総の国⑦で有銘太刀出土の稲荷台1号墳記念広場あたりの地図はあげているが復元古墳の実写真はあげていないと思うのでそれを。

(ちょうど約1年前撮影)

 国道297号わきのはずだけどわかりにくかった。遺跡って見に来る人は多くないせいか周囲に案内表示はないのが一般だ。

遺跡じゃないけど樋口一葉旧宅の時同様にあたりを徘徊してやっと見つけた。

山田橋というバス停そばに入り口がある。

 

 

削平された遺跡上に立つ住宅に挟まれて近隣公園サイズの記念広場が。

小さな、よく幼稚園、学校にある遊戯用の砂山のよう。

 

以下説明文

 

市原市教育委員会発行の「市原の遺跡4」はわかりやすくよい一般向け資料だ。

例えば、次の表。

法隆寺そばにある藤ノ木古墳(ここは無盗掘の金銀ザクザクという感じだった)の百年前にできていることが理解できる。

なお、この資料は、刀剣を下賜した大王は倭王「済」にあたる履中、反正、允恭いずれかの大王ではないかと推測している。

 

追記)上の年表の上を見るとこう。

最も古い古墳(前方後円墳)は奈良県桜井市にある箸墓(はしはか)古墳とされているが

それよりもっと前、卑弥呼の時代より前にいちはらに「神門(こうど)古墳群」ができている。形態も前方後円墳らしい。どういうことなんだろう。