上総の圀から京の都まで、古代東海道はざっくり500キロ。
四国88か所遍路は1200キロ(かっては1300キロと言われていた)。
これらに比べてはるかに短く、しかも現代の東京23区山手線内だが目白通りを歩きながら街の風景を味わったことがある。
「そうだ京都行こう!」に対抗しての「そうだ東京行こう」版だ。
時期は2008年~2009年だが、出発地JRお茶の水の駅も大きく変わろうとしているらしい。13年でそんなに変わるのか。
順次紹介して行きたい。
落ち着いていて、清潔で、文化と歴史があって年配の人にも、若い人にも喜ばれ、勉強にもなるところと思う。
歌、文学、建築、寺社・教会、美術館、有名な学校も入っていて歩いて1日コース。
一つとなりの秋葉原ほど全国区ではないけど、そこが自分たちの街という感じがしてよい。
子供の頃から好きなところで今もたまに行く。
スクランブル交差点を下っていくときれいになった明大校舎があり、
その先の小道を右に曲がれば漱石の在籍した錦華小跡が。
曲がらずまっすぐ行けば三省堂そして古本屋街が。
かって大型書店と言ったら三省堂くらいしかなかった。
楽器の町でもある。私のムラマツのフルートは下倉楽器で購入したもの。
スポーツ店も多い。それに線路北側には多くの大病院が。
学生と正業の健全な街といえよう。
お茶の水を正面から歌った歌にさだまさしの「檸檬」がある。
スローモーションの映像を見ているような歌詞とはっきりしたリズムの上で奏でられる彼らしいロマンチックな旋律が心地よい。
「そして神戸」と並ぶ名曲と思う。
紅色(JR中央線快速)とカナリヤ色(総武線)の電車はいつの間にかアルミ車両に変わり、その色はラインでしか残っていないのが淋しい。
聖橋とスクランブル交差点(お茶の水橋の方であろう)が舞台。倉橋由美子も歩いたんだろうな。
「あの日、湯島聖堂の白い階段に腰かけて
君は陽だまりの中へ~」
「食べかけの檸檬 聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う」
「君はスクランブル交差点斜めに渡りながら
不意に涙ぐんで~」
*梶井基次郎の檸檬に触発されて創ったとはっきり言っている。
さだはバイオリニストを目指して上京したが、鬱々としていた若い時もビッグになった後も長く住んでいたのは市川市(千葉県)で、利用する国鉄・JRは総武線であった(一部、京成もあったかも)。
私にとってもお茶ノ水は日々通過する駅であった。