2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧
市原市の中心部は近代的、良質な住宅街となっているが町はずれのこの駅はさびれ,みすぼらしい状態だった。 昭和2年の駅舎らしい。それを魅力ととらえることもできるが。 あたりを見ていると、少し人が集まって来た。 おや、予期しない展開が。 鉄道ファンが…
前書き・総論ばかりじゃひんしゅくを買う。 そろそろ上総の国府から京へ向かって古代東海道の道を歩き始めないと。 しかしここで難問! 上総の国府がどこにあったかが定まらないのだ。 古くから学者先生の間でも見解が分かれていて一向に定まらない。 ざっく…
そういえば、ミレニアムという言葉がはやったのが平成12年、西暦2000年のことだった。 これを記念に県紙千葉日報に連載されたものをもとに発行された県の道路に関する集大成だ。 ヤマトタケルから現代の東京湾アクアライン(1997年開通)とよくまとめてある。 …
古い古い道路跡を探し、見つけるなんて大変なこと。 かなり明確に比定されている史跡が2か所ある場合、その間を直線で結び、そのルート に近い道路があると、これだ!と言いたくなってしまう。 1970年以降、古道はまっすぐということが強調されだしているの…
身分のある男性は騎馬、 下人は徒歩 身分ある女性は手車や手輿 一部の女性は騎馬 と考えられているようだ。 その根拠は?というと石山寺縁起絵巻の絵にあるもよう。 だがしかし、 この絵巻は鎌倉時代末期に描かれた想定画。しかもビグネームの石山寺参詣を描…
⑳「細川家 美と戦いの700年」 「細川家 美と戦いの700年」という特集があった雑誌・芸術新潮は反響がよかったのだろう。再編集、増補されて単行本になっていた(「細川家の700年 永青文庫の至宝」新潮社1700円)。 これを踏まえてもう一度永青文庫…
木下 良氏は日本古代道路辞典序1の(1)「誤解されていた古代道路」で次のように述べる。 1970年代に日本でも古代道路が直線的路線をとって計画的に敷設された大道であったことが指摘されるようになるまでは、日本の古代道路は自然発生の踏み分け道を幾分拡…
⑭ 田中邸 同じ田中でもこちらは総理大臣になった方。本コースで3人目の元総理大臣宅となる。 門が二重であるのは昔と同じ。が、新しくモダンになっていた。前のはタイルかレンガでもっといかめしかった。 本人生存中は、裏へ回ると、ザーッと錦鯉のいる池に…
更級日記千年紀2020 更級日記紀行 神が宿るところ 東海道へのいざない 松戸読売814号 鎌倉街道・下総道下道 市川~松戸 菊間古墳群 猪鼻城跡で検出された古墳群について OPAC 千葉大学 (神奈川における駅路に関する一考察) https://www.jstage.jst.go.jp/a…
そうだ東京へ行こう⑩ 田中光顕(たなかみつあき)の旧居、蕉雨園 写真右側に見える簡素な塀は永青文庫。 左側に見える長い塀はどこのお屋敷か。 塀越しに蔵や使用人用?の木造住宅の軒先を見ながら少し目白通りに向かって戻ると立派な門が目に入る。 そう、…
⑦ 野間清次と「大正大震災大火災」 上品なフラワーショップ右隣のこの邸宅にはかって、野間という表札がかかっていたと記憶する。 奥深く閉ざされた門を見て大出版社の社長宅ともなると違うもんだと感じた覚えがある。 2000年4月以降ここが講談社野間記念館…
吉野秀夫氏は数冊の研究成果を本にまとめて公にしている。 更級日記の「いかたというところにとまりぬ」の「いかた」という地名の場所解明に重きを置き、さらに関連する地名や詳細なルートについて見解を述べている。 驚くほどの情熱、ボーリング調査まで厭…
⑤ 東京カテドラル聖マリア大聖堂 いよいよ核心の目白通りに入る。 目白通りは武蔵野台地の端、関口台地を通る。 高台で見晴らしがよく、江戸時代は多くの大名下屋敷があった。 従って、近畿に比べれば浅いものの、400年の街としての歴史はあることになる。 …
飛鳥、奈良、京都、鎌倉と違って東京は現役の政治の都。ならば現役の政治家のお宅を拝見するのも意味があるのではと、2箇所加えた。その1番目。 言うまでもなく、鳩山家は和夫・一郎・威一郎そして由紀夫・邦夫兄弟と4代続いて政治家をしている。 199…
②護国寺 交通 JR御茶ノ水駅から総武線各駅電車に乗り、二つ目の飯田橋まで行く。 少し歩くけど地下鉄有楽町線に乗り換え、護国寺で降りてすぐ。 選択理由 護国寺は前を通った事はあるけど、中に入るのは初めて。 きっかけは、今年たまたま真言宗豊山派と縁…
古代の道のことを述べる本には必ず「延喜式」なる言葉が出てくる。 そういえば昔、日本史の教科書でその言葉を目にしたっけ。 今、更級日記を考える上でも必須の言葉になる。 ではその定義は? 国立歴史民俗博物館研究報告第218集(令和元年12月 非売品) 古代…
A woman's life in eleventh century japan 数年前、コロンビア大学から英訳が出版されている。 写真も多く読みやすそう。 日本人学者も参加している。 源氏物語がもてはやされているけど、それは悪く言えば貴族社会の情痴小説。 更級の方は女の一生を記す。…
千葉市立中央図書館の地域資料を並べてある部屋で市原市の郷土史を研究しているグループが発行する会誌を見つけた。 写真は全4号中の3冊。 根底に地元愛があり、前向きな熱意が感じられる。 特に1号は充実(2016年発行)。項目は以下のとおり とりわけ…
こちらの書籍は図書館にあった。禁帯出だったけど1万を超える高額な図書だけに助かる。 前回紹介したものの8年前の発行。 地図は少ないが文書が多く、論文集という感じだ。 特に序の記述が参考になった。 古代交通研究会の編であり、中心の方は同じメンバー…
上総の圀から京の都まで、古代東海道はざっくり500キロ。 四国88か所遍路は1200キロ(かっては1300キロと言われていた)。 これらに比べてはるかに短く、しかも現代の東京23区山手線内だが目白通りを歩きながら街の風景を味わったことがある。 「そうだ京都行…
古代東海道のルート図を知りたいが、アバウトあるいは部分的なものばかり。 「延喜式では、○○となっている」という概略的なもの多い。 郷土史あるいは自治体が解説するものはかなり詳しいが、残念ながら身近あるいは管轄内のものがほとんど。もう少し広く、…
更級日記のグレートジャーニのフォローを始める前にこう書くのもなんですが、負けず劣らず、というか見方によってはそれ以上に意義深い紀行文がありました。何しろ海外版ですし、夢見る少女ではない成人男性の手になるので違いがあります。 以下紹介します。…
菅原孝標女ではなく父親菅原孝標のこと。 あまりに低評価、酷評で可哀そうすぎる。 更級日記についてのぶ厚い本を読むと父親のことが出てくる。 解説することが多い犬養氏はこう書いている。 日本古典文学全集1971年初版 小学館 犬養廉(キヨシ 大正11…
参考になる資料・文献 更級日記の文学性に重きを置くものと 古代東海道のルートや当時の中央・地方の政治・統治機構、社会の風俗など、歴史・地理学的考察に力点を置くものに大別できるようです。 前者は古くから文学部あるいは文筆家(ちょっと前は堀辰雄、…
更級日記紀行で一団がどういう形態で移動したかについては争いがあるようです。江戸時代の大名行列でさえ牛車を使った絵が1枚もないことから馬か籠か歩きしかないという人もいます。 しかし幼児や妊婦も含む大所帯で馬車あるいは牛車なしに移動できるか疑問…
鴨長明 方丈庵ルートと謎 方丈庵跡とされる箇所まで2008年12月の実踏を基にご案内しましょう。 克明な地図を事前に目にする事はなかった(ないのかな?)。が、目印となる2箇所の名称をおさえておくことで何とかなった。 2箇所とは法界寺と日野野外活動施…