古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

古代東海道 下総の国㉚の2 永井荷風と五木寛之氏

氏のエッセイの続きはこうだ(一部) のちに荷風が人に気づかれずに死んだニュースを聞いたとき、あの風の中に一人立っている老人のうしろ姿を思い出して、なんとなく胸がしめつけられるような哀しい気がしたものである。 私は荷風の愛読者というほどは読んで…

古代東海道 下総国㉙ 鬼高遺跡

船橋市本中山→市川市鬼越→鬼高と続く。 鬼滅の刃じゃないけど「鬼」の字はインパクトがある。 1919年(大正8年) - 耕地整理により鬼越、高石神の各一部より鬼高を新設、東葛飾郡中山村大字鬼高となったそうだ。 確かに京成沿線に鬼越、高石神の町名が見える…

古代東海道 下総の国 ㉘ 船橋から市川へ

この先のルート概観 現市原市の上総国府候補地から出発したが、次の下総国国府候補地(市川市国府台)がようやく手の届く距離になってきた。 船橋市以西から市川に至る全体図は次の地図のとおり。 古代東海道の立地するところは京成沿線の微高地になるが、その…

古代東海道 下総国㉗ 船橋市海神「飛の台遺跡」② 、オトタチバナヒメ伝承と文京区妻恋神社

先週土曜日のブラタモリは渋谷の古代遺跡について特集していた。 いくら地元とはいえ、NHKの「渋谷」への偏愛は過剰ではないかと思われるが、今回はこれまでの「地学」重視から古代「考古学」への関心もうかがえたのでまあ、好感を持って拝視聴した。 タモリ…

古代東海道 下総の国㉖ 船橋市海神と飛の台史跡

西向き地蔵尊を200mばかり進むと海神という地名になる。 その前にもう一度西向き地蔵尊の写真を。 右側の上總道(古代道)と左側1600年代の新設道(本町通り)の分かれ目になる重要なポイントとのことらしいので。 右端の格子戸の中の石像が古いものらしい…

古代東海道 下総国㉕ 孝標の娘はどの道で現船橋市域を横切ったのか

この本、書名の印象だとご当地散歩本に思えるが、中を読むととんでもない。 深く、広い。 290頁 2014年初版 ろん書房出版 編著者の滝口昭二氏は元船橋市の公立学校校長で郷土歴史地理研究者。 市川市国府台について和洋女子大院生が書いたものがあるが如何せ…

後鳥羽院の歌と菅原孝標女晩年心境

後鳥羽院 (遠島御百首) 冬ごもる 寂しさ思ふ朝な朝な爪木(つまぎ)の道を埋(うず)む白雪 長谷川氏は次のように解説する 和歌は花鳥風月を友とすると思われているが 当人の心のうち、変転をつぶさに映し出す。 帰京かなわず十八回もの冬を隠岐で迎え、数え年…

古代東海道 下総国㉔v3 千葉街道を進む。 千葉市花見川、幕張から習志野市、船橋市へ

10.6追記 この項、遺跡は多くはないかに見えるがが距離があり、なかなか一気に書ききれない。随時補充していく。 話は脱線するが、先日総裁選があり、首班指名、組閣と続いた。その中で話題を呼んでいるのが当選3回目という若輩議員が大臣に任命されたことだ…