古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

2021-01-01から1年間の記事一覧

古代東海道 下総国Ⅱ(江戸川から隅田川) ⑧ 荒川から隅田川へ再度の実地踏査

前回の荒川から隅田川にわたる実地踏査はどうも消化不良だった。 荒川ふちのほがらか保育園付近から東武鐘ヶ淵駅への道を歩いていない。 同駅踏切から墨堤通にわたる過程も説明不足。自分の備忘録としても。 墨堤通西側の堤通2丁目は木母寺、隅田神社と歴史…

古代東海道 下総国㉞ 井上駅と本道・支道分岐点

下総国の国府の位置はほぼ解明されているが、最寄りの駅「井上(いかみ)駅」については争いがある。 A説 国府の推定される市川市国府台より1km坂を下った砂州上とする。現市川広小路あたりか。 参考引用地図 地図で見る東日本の古代 P133 市川広小路 B説 国…

古代東海道 下総国㉝ 市川の邸宅街

芦屋、田園調布、南平台以外にも、それこそ日本中どんな地域にも他と違う上質雰囲気の漂う町並みがある。 そういわれるところの特徴は少数数軒だけが際立って豪邸というのではなく町並み全体が落ち着いた上質な雰囲気をもっている点だ。 ポットでのよそ者あ…

古代東海道 下総国(江戸川から隅田川)⑦ 荒川新四つ木橋から隅田川水神大橋へ

想定するルーはこう ここらへんの土地勘は全くない。 長い新四つ木橋を下りると八広小前の交差点。(墨田区八広6丁目) 右折し、鐘ヶ淵通りを東武鉄道に向かって北進するしかない。 四つ木橋だったら途中土手のところで降りられそうだが。次回はそうしよう。 6…

古代東海道 下総国(江戸川から隅田川)⑥ 四つ木、古代道の表示、葛西清重、荒川

上小岩遺跡通りの出発点同様はっきりしているルートの中で最終に近いポイントなので少々詳しく述べたい。 奥戸街道と平和橋通りの交錯するところがわかりにくい。 踏切を渡ってそのまままっすぐ進むと北西の水戸街道方面に行ってしまう。 渡ってすぐ左折し、…

古代東海道 下総国(江戸川から隅田川)⑤v2 東京低地の古代のイメージと流れる川の現況

東京低地湿原イメージ 湿原であった東京低地のイメージとして参考になるものを挙げたい。 上総の国と下総の国の境当たり、現市原市と千葉市の間茂原街道沿いに出水の多い広範な湿地帯がある。 都市圏であり、いつまでも開発から免れ得ないと思うので取り合え…

古代東海道 更級日記の道 下総国(江戸川から隅田川)④ 新中川・中川・荒川へ

三和橋の先に富士山が見えている。 左には葛飾区立の奥戸小学校や体育館が見えている。 このルートで気になっていた一つが奥戸小前にあるという古代東海道を説明する掲示板だ。 ネットでもよく撮影紹介されている。 そばまで行ったが見つからず、校舎を左周…

更級日記の道 下総国(江戸川から隅田川)③ 上小岩遺跡通り出発、新中川まで

対岸江戸川区側に戻って、里見公園脇の道を眺める。 川のそばまで行ってみよう。 コンクリート護岸でないとは思わなかった。 水は思いのほかきれい。東京都、千葉県で水道水に使っているのだから当然かもしれないが。 対岸の風景の広がり、みどり、水量とも…

更級日記の道 下総国2 江戸川から隅田川②ー江戸川(太日川)を渡った地点

将棋ではないがルートを考えるには次の手(地点)、その次の手(地点)と、先、先を考える必要があろう。確かに市川近辺の千葉街道(国道14号)は古代東海道を踏襲していようが、そのまま延長するのはいかがなものか。 市川広小路 正面:市川橋・東京 右国府台・松…

古代東海道/更級日記の道3 下総国2—江戸川から隅田川①—

じめに 現在の千葉県と東京都の境は江戸川であるが、下総国と武蔵の国は隅田川を境としていた。確かに東京都江戸川区から見る対岸は緑の多い小高い丘陵になっており景色はかなり変わり、違う国のようにも思える。 孝標女自身も江戸川を境と誤解していたが無…

県史‣市史のこと ―市川市史ー

市川市史 地域についての総合的体系書ともいえる県史,市史を出している自治体が少なくない。 学術性的性格は高く、しかも愛郷心で裏打ちされているせいか中央の出版社や行政機関ならカットするようなものも極力丁寧に取り上げており一級の資料価値を有する…

古代東海道 下総国㉜ 市川砂州と地表の現状(構築物)

下総の国府、井上駅家、どこで現江戸川を渡ったかについて考え、進む前にそこへの通り道になる市川砂州の現状(地表構築物)を見てみよう。撮影は直近2021年11月。 ちょっとローカルすぎるので遠方の方はつまらないかも。逆に有名作家がいたところなので関心が…

くろとの浜と黒砂くろとの浜公園

更級日記において「くろとの浜」はいろいろな意味で重要なポジションをもつ地名だ。 市原市立図書館主催の講演会で配布されたレジュメには黒砂くろとの浜公園の写真が載っていた。 当ブログ古代東海道更級日記・下総国⓴では少し北側(内陸)、千葉大と敬愛大キ…

文学講座・特別講演会『更級日記」の東国

9月末、キャンベルさんの講演会があったばかりであるが、それから1月ちょっとで今度は図書館主催で講演会があった。9月の講演はコロナの影響でかなり遅れたのでそのせいで近接した模様だ。 しかし何とも贅沢な講演だった。 去年出たばかりの大著の編著者お二…

ドライブ・マイ・カー(カンヌ国際映画祭脚本賞受賞)感想

当方映画を見る習慣・趣味はなく、よほどのことがない限り2~3年に1回だ。 ところが今年,2回も見てしまった。 1回目は3月8日、新エバンゲリアン劇場版。 エンディングに宇多田ヒカルの歌を流しながら関係者のリストを出すが、小生、ほんの少しお手伝いをし…

「まのの長者」伝説→井上靖訳と平安海進、ツバル、地球温暖化のこと

更級日記について、最近は学者先生の訳したものが多いようだけど昔は文学者によるものも多かったようです。 以下は井上靖訳(昭和40年河出書房新社発行の日本文学全集3)。口絵には堀 文子のオリジナル画がついているし、なんと贅沢なことか。 訳はわかりや…

海面の高さと時代区分の長さ

旧石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代→ 奈良・平安時代→鎌倉時代と続く程度のことは識貧困な当方でも知っているが、それぞれがどのくらいの期間続いているのかは感覚的にはつかみがたい。 昔の入り江の位置、道路の位置は各時代当時の海面高さで大きく変わ…

古代東海道 下総国㉛ 砂州と松の木

孝標の娘は白砂と松林の風景が好きだったようだ。 泊まった黒戸というところ(下総の国、現千葉市のどこか)は片側が広々とした砂丘で砂浜は遠くまで白く続き、そこには松原が茂っているとその情景を愛でつつ描写している。 逆に武蔵の国では「ことにをかしき…

古代東海道 下総の国㉚の2 永井荷風と五木寛之氏

氏のエッセイの続きはこうだ(一部) のちに荷風が人に気づかれずに死んだニュースを聞いたとき、あの風の中に一人立っている老人のうしろ姿を思い出して、なんとなく胸がしめつけられるような哀しい気がしたものである。 私は荷風の愛読者というほどは読んで…

古代東海道 下総国㉙ 鬼高遺跡

船橋市本中山→市川市鬼越→鬼高と続く。 鬼滅の刃じゃないけど「鬼」の字はインパクトがある。 1919年(大正8年) - 耕地整理により鬼越、高石神の各一部より鬼高を新設、東葛飾郡中山村大字鬼高となったそうだ。 確かに京成沿線に鬼越、高石神の町名が見える…

古代東海道 下総の国 ㉘ 船橋から市川へ

この先のルート概観 現市原市の上総国府候補地から出発したが、次の下総国国府候補地(市川市国府台)がようやく手の届く距離になってきた。 船橋市以西から市川に至る全体図は次の地図のとおり。 古代東海道の立地するところは京成沿線の微高地になるが、その…

古代東海道 下総国㉗ 船橋市海神「飛の台遺跡」② 、オトタチバナヒメ伝承と文京区妻恋神社

先週土曜日のブラタモリは渋谷の古代遺跡について特集していた。 いくら地元とはいえ、NHKの「渋谷」への偏愛は過剰ではないかと思われるが、今回はこれまでの「地学」重視から古代「考古学」への関心もうかがえたのでまあ、好感を持って拝視聴した。 タモリ…

古代東海道 下総の国㉖ 船橋市海神と飛の台史跡

西向き地蔵尊を200mばかり進むと海神という地名になる。 その前にもう一度西向き地蔵尊の写真を。 右側の上總道(古代道)と左側1600年代の新設道(本町通り)の分かれ目になる重要なポイントとのことらしいので。 右端の格子戸の中の石像が古いものらしい…

古代東海道 下総国㉕ 孝標の娘はどの道で現船橋市域を横切ったのか

この本、書名の印象だとご当地散歩本に思えるが、中を読むととんでもない。 深く、広い。 290頁 2014年初版 ろん書房出版 編著者の滝口昭二氏は元船橋市の公立学校校長で郷土歴史地理研究者。 市川市国府台について和洋女子大院生が書いたものがあるが如何せ…

後鳥羽院の歌と菅原孝標女晩年心境

後鳥羽院 (遠島御百首) 冬ごもる 寂しさ思ふ朝な朝な爪木(つまぎ)の道を埋(うず)む白雪 長谷川氏は次のように解説する 和歌は花鳥風月を友とすると思われているが 当人の心のうち、変転をつぶさに映し出す。 帰京かなわず十八回もの冬を隠岐で迎え、数え年…

古代東海道 下総国㉔v3 千葉街道を進む。 千葉市花見川、幕張から習志野市、船橋市へ

10.6追記 この項、遺跡は多くはないかに見えるがが距離があり、なかなか一気に書ききれない。随時補充していく。 話は脱線するが、先日総裁選があり、首班指名、組閣と続いた。その中で話題を呼んでいるのが当選3回目という若輩議員が大臣に任命されたことだ…

古代東海道 下総国㉓ 花見川浪花橋西側から南下して千葉街道(旧房総往還)へ

直道(なおみち)遺跡周辺には近時発掘され古い文献には触れられていない遺跡が多いが 探索しながらの進行も少々疲れた。 ここらへんで海縁の千葉街道に出てもよいだろう。 さざれ幼稚園の脇を通り、京成電車の踏切を渡ると古い街道(旧房総往還)に出る。 房…

古代東海道 下総国㉒ 花見川流域と愛宕山古墳その2 徒歩、古老、地元の情報発信誌

不明点が多いので再度出かけることにした。 一般的文献で不明のものの探索には①徒歩による五感的推測 ②人に聞く(古老) ③ ②を集約したような郷土史家による情報のまとめがあれば最高に思う。 今回曲がりなりにも整った。 刑事は、事案の真相解明のためには犯…

古代東海道 下総国㉑ 花見川流域と愛宕山古墳

花見川西側に見える丘がどこか怪しく思える。 そばに行ってみた。 なんでここの一角だけ、ぽっかり空き地になっているのだろう。 何らかの理由で公有地にして将来の調査に備えているのだろうか。 通りすがりの女性に聞いてみたが「知らない」とのこと。そり…

古代東海道 下総国⓴v2 千葉公園から花見川へ

この信号の先に見える本敬寺常光閣というあまり寺らしからぬ雰囲気の先が作草部駅前信号だ。 房総往還ルートをやや斜めに外れて進む。写真では直進。 ここら辺から学校キャンパス街となる。 下の写真左ビル後ろに県立千葉東高、右に千葉経済高 直近の話にな…