古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

2023-01-01から1年間の記事一覧

更級日記東京の道⓰ 中原街道・洗足坂上から田園調布本町、多摩川へ ― 完 —

洗足坂上で中原街道に入り、左折してこのまま道なりに進めば多摩川・丸子橋に至り、「更級日記―東京の道」は終了する。 しかし,どこか歴史性、風情に欠け、また、丸子橋が丸子の渡し位置より北にずれるのが気になる。 中原街道は田園調布警察署前交差点Aで環…

更級日記東京の道⑮ 大井町駅から洗足へ(その2)

中六桜広場にある道標から300mばかり進んで荏原駅入り口交差点の5差路に出たがわかりにくい。 いつのころか道路拡幅工事があったのであろう。一方通行ではなくなる。 . 上の写真だと左の上に延びる道となる。手前右手は和田眼科。 進むと広い道もここまで。…

気になる関連報道

数年前になるが、四国遍路をした女性が終わった後でも四国という文字を目にすると 我がことのように気にかかると言っていた。 更級日記にかかる道についても全く同様に思う。 最近の記事から。 1 下総の国の国府に関する2023・11.1付読売記事 和洋女子大、…

更級日記 東京の道 ⑭  大井町駅から洗足へ 

JR大井町駅西南域(大井1丁目)から中原街道へ向かうとしてどの道で? 多摩川丸子橋へ向かうのだから斜め左下(西南)に向かうのが合理的。 現状の地図上からはカメラ工場にちなむ光学通りが候補になるが新設の道かと思えるような名称でちょっと?だ。 だが、明…

更級日記東京の道⓭ 高輪から大井町駅へ(その3) 居木橋から大井町駅へ

御殿山の坂を下った居木橋界隈から先、延喜式東海道の大井駅と比定されるJR大井町駅付近へのルートが問題だ。 道路技術者で古代道研究家の武部健一氏は著書で(進路は逆になるが)、「多摩川を渡り、中原街道の中延付近で東に折れ、大井駅で90度左折し、直…

更級日記・東京の道⑫ 高輪から大井町駅へ(その2) 御殿山から居木橋へ

御殿山交番前で八ツ山通を渡るが向こう側に3本の道があって、迷う。 進行左からAとB2本は御成門通り、道灌通りと名がついている。 真正面だし、「お成道」の立て看板もあるしと御成門通りAに入り、そのままミャンマー大使館前まで歩いたが、後で考えると違っ…

⑪ 高輪から大井町駅へ その1 伊皿子交差点、二本榎通、柘榴坂、高輪4丁目

聖坂から続く道を進み、伊皿子交差点を過ぎて高輪に入いる。 とまもなく右手にこんもりした森を持つ邸宅が見えてきた。 おや、その広大な邸宅前スペースには警官が立っている。なんで? 後でわかった。仙洞御所建設中のため、上皇夫妻が仮住まいしていた高輪…

更級日記⓾ 赤羽橋交差点から済海寺・亀塚公園、三田台公園へ

赤羽橋交差点を過ぎると進行右(西)側は東麻布から三田と換わり、すぐに見えてくるのが慶応大校舎だ。 その慶大先で国道1号(桜田通)はほぼ直角に右折するが(三田2丁目)、ここは見送る。 近接する次の信号(三田3丁目)から斜め右に広くはない上り坂に入る。…

更級日記東京の道⑨ 桜田門から芝公園

道灌は海近くに江戸城を築いた(1457年)。 孝標らの上洛旅はそれより430年以上前。 なおのこと海岸線は近かっただろう。進むにはできるだけ内陸側(西側)を進まねばならない。 桜田門(荏原郡桜田郷)から丘陵裾野を南に進む(現国道1号桜田通り)。 桜田門正面の…

更級日記東京の道⑧ 明治大西側遺跡 、江戸城

ここで、少しお茶の水界隈に戻る。 東京医科歯科大には貝塚遺跡があり、前回述べたように一ツ橋2丁目には複合遺跡がある。 現明大通りより西に古代の道があったとするなら、そのあたりに何らかの痕跡があってもおかしくない。ないのだろうか。 そう思ってい…

更級日記東京の道⑦ 皇居 — 平川門から東御苑 —

高台の平坦地、それでいて水辺からほど近いところには遺跡が多い。 土地について人が求めるところは昔も今も変わらないようだ。 一ツ橋2丁目遺跡から見てかつての日比谷入江の対岸にあたる台地上(北の丸)には国立近 代美術館遺跡があり(下の写真)、皇居内に…

更級日記東京の道⑥ 発掘調査報告書「(東京都千代田区)一ツ橋二丁目遺跡」について

この報告書は論述内容、図版、写真、まとめの表のほか、紙質・印刷等も含め大変に充実したものであり、一部の人にしか知られていないのはもったいない。 幸い、古書店から原本を取得できたのでごく一部であるが紹介させていただく。 <例言> 旧一ツ橋講堂跡…

更級日記東京の道⑤ 神田小川町→神保町→錦町→一ツ橋2丁目遺跡へ

錦華公園・お茶の水小と明大図書館の間の細い錦華坂Eをまっすぐ南下すると(建物を度外視)、三井住友銀行Cにぶつかる(神田小川町3丁目)。 ここら辺、昔々はどんな道路付だったのか不思議な三角形のゾーンだ。靖国通り甲に向かって立つ銀行Cの東側丙は富士見坂…

東京の道④ 神田駿河台2丁目から駿河台下へ 

もういちど、神田山の裾野、駿河台下までを見てみよう。 神田山の尾根=標高の高いところをイメージしながら歩くとすると、今現在では254号(春日通)以南のルートはこうなるだろう。 文京区立本郷台中(東側の一方通行)→本郷給水所公苑・水道歴史館(東側の一方…

東京の道③ 本郷通り3丁目から神田方面に

本郷通に入って皇居方面に向かうとしても順天堂大の先で神田川が掘削されていて、橋もないから直進できない。 川に沿って左折し、東京医科歯科大(お茶の水貝塚の遺跡あり)前の御茶の水橋を渡るしかない。 しかしその道(駿河台下交差点に至る明大通り)は最…

東京の道② 谷中から本郷通りへ

さて、現日暮里駅付近の坂を上り天王寺付近の豊嶋駅に着いたとして次の大井駅家(現JR大井町駅付近)へ向かうにはどういうルートで? ここに至る直前のルート以上に不詳で研究者も上野公園脇→本郷通り→皇居あたりという程度。武蔵野台地東端といっても谷中→寛…

更級日記東京の道 ① 開始の経緯

今年度第1四半期、たまたま縁あって某紙に「更級日記東京の道」を連載する機会を頂きました。 これまでの当ブログ、更級日記の道「武蔵国」で述べているところと範囲的には重なりますが、再度の実地踏査、新たな資料の取得・閲覧等により考えを修正したり、…

邪馬台国連合VS狗奴国(くぬこく、くなこく)連合

白石太一郎氏の「東国の古墳と古代史」を手にした。 (初版 2007年 学生社) 読みやすく、率直な言い方をしてくれているいい本だと思う。参考になる箇所が多い。 1 先ずは、本文内容ではないが序文の箇所。 国立歴史民俗博物館の創設にあたっての井上光貞、岡…

リアルな体験とネット・文献での知見の差異 ③ 五反田

「世界は五反田から始まった」(ゲンロン)との地名入り題名が良かったのかずいぶん話題となった。 大佛次郎賞という朝日新聞系列の受賞だが先日12月29日の読売新聞で東大教授宇野重規氏との街歩き対談が記事となっている。 この写真、目黒川の橋で撮ったとあ…

リアルの体験とネット・文献での知見との差異② 高輪,二本榎通り

同じく3月28日の歩きについての想い。 菅原孝標一行が歩いたここら辺の古代東海道ルートは済海寺のいわれはあてにならないがほぼこの二本榎通りでいいと思う。 理由:尾根筋の安定した地形である。下の旧東海道はまだ不安定箇所。 遺跡も散見され、補強証拠…

リアルに歩くこととネット・文献で得られることの差異(1) 

はやり病のこともあって、在宅勤務の度合いが多くなり、現地踏査ではなくネット・文献調査や問い合わせ調査が著しく増えている。 それは簡易・簡便で経済合理性に富む。しかし得られる効果は一面的で当初の目的・企画を超えることはほとんどない。 しかし実…