古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

更級日記の道 下総の国Ⅰ

迅速測図と活用v2 / 古代東海道 下総国㉟

迅速測図(圖) 1⃣比較的新しく歴史・地理について書かれたものを拝読すると参考文献として迅速測図を挙げる人が多い。 研究者はむろん、郷土史家、はたまた町内会のレポートまで。 例 市川市中国分町自治会には中国分史書編集委員会なるものまであって格調高…

古代東海道 下総国㉞ 井上駅と本道・支道分岐点

下総国の国府の位置はほぼ解明されているが、最寄りの駅「井上(いかみ)駅」については争いがある。 A説 国府の推定される市川市国府台より1km坂を下った砂州上とする。現市川広小路あたりか。 参考引用地図 地図で見る東日本の古代 P133 市川広小路 B説 国…

古代東海道 下総国㉝ 市川の邸宅街

芦屋、田園調布、南平台以外にも、それこそ日本中どんな地域にも他と違う上質雰囲気の漂う町並みがある。 そういわれるところの特徴は少数数軒だけが際立って豪邸というのではなく町並み全体が落ち着いた上質な雰囲気をもっている点だ。 ポットでのよそ者あ…

古代東海道 下総国㉜ 市川砂州と地表の現状(構築物)

下総の国府、井上駅家、どこで現江戸川を渡ったかについて考え、進む前にそこへの通り道になる市川砂州の現状(地表構築物)を見てみよう。撮影は直近2021年11月。 ちょっとローカルすぎるので遠方の方はつまらないかも。逆に有名作家がいたところなので関心が…

くろとの浜と黒砂くろとの浜公園

更級日記において「くろとの浜」はいろいろな意味で重要なポジションをもつ地名だ。 市原市立図書館主催の講演会で配布されたレジュメには黒砂くろとの浜公園の写真が載っていた。 当ブログ古代東海道更級日記・下総国⓴では少し北側(内陸)、千葉大と敬愛大キ…

古代東海道 下総国㉛ 砂州と松の木

孝標の娘は白砂と松林の風景が好きだったようだ。 泊まった黒戸というところ(下総の国、現千葉市のどこか)は片側が広々とした砂丘で砂浜は遠くまで白く続き、そこには松原が茂っているとその情景を愛でつつ描写している。 逆に武蔵の国では「ことにをかしき…

古代東海道 下総の国㉚の2 永井荷風と五木寛之氏

氏のエッセイの続きはこうだ(一部) のちに荷風が人に気づかれずに死んだニュースを聞いたとき、あの風の中に一人立っている老人のうしろ姿を思い出して、なんとなく胸がしめつけられるような哀しい気がしたものである。 私は荷風の愛読者というほどは読んで…

古代東海道 下総国㉙ 鬼高遺跡

船橋市本中山→市川市鬼越→鬼高と続く。 鬼滅の刃じゃないけど「鬼」の字はインパクトがある。 1919年(大正8年) - 耕地整理により鬼越、高石神の各一部より鬼高を新設、東葛飾郡中山村大字鬼高となったそうだ。 確かに京成沿線に鬼越、高石神の町名が見える…

古代東海道 下総の国 ㉘ 船橋から市川へ

この先のルート概観 現市原市の上総国府候補地から出発したが、次の下総国国府候補地(市川市国府台)がようやく手の届く距離になってきた。 船橋市以西から市川に至る全体図は次の地図のとおり。 古代東海道の立地するところは京成沿線の微高地になるが、その…

古代東海道 下総国㉗ 船橋市海神「飛の台遺跡」② 、オトタチバナヒメ伝承と文京区妻恋神社

先週土曜日のブラタモリは渋谷の古代遺跡について特集していた。 いくら地元とはいえ、NHKの「渋谷」への偏愛は過剰ではないかと思われるが、今回はこれまでの「地学」重視から古代「考古学」への関心もうかがえたのでまあ、好感を持って拝視聴した。 タモリ…

古代東海道 下総の国㉖ 船橋市海神と飛の台史跡

西向き地蔵尊を200mばかり進むと海神という地名になる。 その前にもう一度西向き地蔵尊の写真を。 右側の上總道(古代道)と左側1600年代の新設道(本町通り)の分かれ目になる重要なポイントとのことらしいので。 右端の格子戸の中の石像が古いものらしい…

古代東海道 下総国㉕ 孝標の娘はどの道で現船橋市域を横切ったのか

この本、書名の印象だとご当地散歩本に思えるが、中を読むととんでもない。 深く、広い。 290頁 2014年初版 ろん書房出版 編著者の滝口昭二氏は元船橋市の公立学校校長で郷土歴史地理研究者。 市川市国府台について和洋女子大院生が書いたものがあるが如何せ…

古代東海道 下総国㉔v3 千葉街道を進む。 千葉市花見川、幕張から習志野市、船橋市へ

10.6追記 この項、遺跡は多くはないかに見えるがが距離があり、なかなか一気に書ききれない。随時補充していく。 話は脱線するが、先日総裁選があり、首班指名、組閣と続いた。その中で話題を呼んでいるのが当選3回目という若輩議員が大臣に任命されたことだ…

古代東海道 下総国㉓ 花見川浪花橋西側から南下して千葉街道(旧房総往還)へ

直道(なおみち)遺跡周辺には近時発掘され古い文献には触れられていない遺跡が多いが 探索しながらの進行も少々疲れた。 ここらへんで海縁の千葉街道に出てもよいだろう。 さざれ幼稚園の脇を通り、京成電車の踏切を渡ると古い街道(旧房総往還)に出る。 房…

古代東海道 下総国㉒ 花見川流域と愛宕山古墳その2 徒歩、古老、地元の情報発信誌

不明点が多いので再度出かけることにした。 一般的文献で不明のものの探索には①徒歩による五感的推測 ②人に聞く(古老) ③ ②を集約したような郷土史家による情報のまとめがあれば最高に思う。 今回曲がりなりにも整った。 刑事は、事案の真相解明のためには犯…

古代東海道 下総国㉑ 花見川流域と愛宕山古墳

花見川西側に見える丘がどこか怪しく思える。 そばに行ってみた。 なんでここの一角だけ、ぽっかり空き地になっているのだろう。 何らかの理由で公有地にして将来の調査に備えているのだろうか。 通りすがりの女性に聞いてみたが「知らない」とのこと。そり…

古代東海道 下総国⓴v2 千葉公園から花見川へ

この信号の先に見える本敬寺常光閣というあまり寺らしからぬ雰囲気の先が作草部駅前信号だ。 房総往還ルートをやや斜めに外れて進む。写真では直進。 ここら辺から学校キャンパス街となる。 下の写真左ビル後ろに県立千葉東高、右に千葉経済高 直近の話にな…

古代東海道 下総国⓳ 経路途中だが近・現代のことも考えたくなる(千葉公園)

更級日記の道なのだから古代当時のことだけを考えればよいのかもしれない。 しかし、ここ千葉公園、JR西千葉駅の東側や先の話になるが市川市国府台あたりについ ては明治以降、近代・現代のことを考えたくなる。 千葉公園も国府台も明治期から日本陸軍の大基…

古代東海道 下総国⓲ 千葉駅近辺から稲毛方面へ

千葉市中央区要町から同区椿森へ 千葉市民会館にぶつかった後、線路の北側に行くには右側だと東千葉駅にまたがる椿森陸橋を通ることになる。少し大回りだし登りなので左折して逆に線路の下を通る道にした。 このまままっすぐ行くとJR千葉駅 右折して線路の下…

古代東海道 下総国⓱ 千葉市から先の探索で悩む―四国遍路との対比

ネット特にユーチューブやブログに旧街道を歩くというものが見受けられる。 特に東海道については正月の大学箱根駅伝があるし、江戸時代の戯作があるし、53次の浮世絵があるし、ということで特に目立つ。 歩くというのは一種何とかハイになる中毒性もあり、…

古代東海道・下総の国⓰ ①から⑮の自説ルートと信用性

千葉中央遺跡通りなどと勝手なネーミングまでして、識者のお叱りを受けそうだ。 こういう時、学者と歴史を扱う小説家の対談を読むと面白い。 大昔のことなどしっかりした記録書がなく、細緻にわたってまでわかるはずはない。考古学的・科学的知見などごく一…

古代東海道 下総の国⑮ 千葉神社から北進して鉄道と市民会館にぶつかる。

吾妻町通りをまっすぐ進んで行く。 街の雰囲気も変わってくる。 地方道40号千葉神社通りに合流する。 斜め左に進む。 そのまま進むと鉄道にぶつかってしまう。 千葉市民会館が眼前に立っている。 ここで古代からの道と推定する道は分断されてしまっている。…

古代東海道 下総の国⑭ 千葉寺→亥鼻→河曲驛(かわわのうまや)」へ V2

では千葉寺観音を後にしてこれから進む道を古い110年前の地図で見て見る。 千葉中学校、県庁、裁判所、医科大学、左上に千葉神社と廃寺になっている大日寺が見える。 千葉寺三叉路 千葉寺のそばにあるカトリック教会 下りとなる。 二股に分かれる。バスが通…

古代東海道 下総国 ⓭ 千葉寺と書「千葉寺いまむかし」を読んで

千葉寺界隈で足が止まって進まない。これではいつ京へ着くのか。 更級日記を世に出してくれた定家にかかわる冷泉家についての新聞2面の広報ページが魅力だったし(2021.7.4)、 (全景俯瞰図を隣の同志社大から撮っているが、私もそうした。人のやることはプロ…

古代東海道・更級日記の道 下総の国⑫ 狐塚古墳v2

既出の下記報告書(*)の3ページ「序章 遺跡の概観」第1節に短いがきわめて印象深い一節があった。 「 古墳の分布をみると海岸平野に面した台地の縁辺は、早くから開発されたため分布は極めて希薄であるが、千葉寺地区遺跡群の2.5㎞南にはかって狐塚古墳とい…

古代東海道 下総国⑪ 観音塚遺跡報告書と現況

千葉市観音塚遺跡(千葉寺地区遺跡群)について 千葉寺は12世紀に観音塚あたりからから引っ越してきたという伝承もある遺跡についての報告書である。 観音塚という名称はあちこちにあるようなので千葉市観音塚遺跡と言った方がいいのかもしれない。また発掘調…

古代東海道 下総国 ⓾ 千葉寺跡と青葉の森公園、荒久古墳、観音塚遺跡

「千葉県の資料」に「114千葉寺跡」という項目があり、更級日記への言及もあるので紹介させていただく。(この項著者 糸原 清氏) 発掘調査すると必ずや?その報告書が出るようであるが、下手な市販の案内書よりずっと広く深い。 この№114も千葉寺跡さら…

古代東海道 下総国 ⑨ 千葉寺と千葉寺廃寺 その2

この本、単なる観音巡礼の案内本かと思ったら、そうではなかった。 他の公的解説本には載っていないことが記されている。調査能力、努力に敬服すべきものを感じる。 千葉寺の盛衰につても以下のように記述されている。 ・縁起とは天和の頃編纂の「千葉寺縁起…

古代東海道 下総国 ⑨ 千葉寺と千葉寺廃寺 その1

国分寺より前に豪族に建立されたお寺があります。下総では現市川市真間町にある弘法寺(葛飾郡)と現千葉市千葉寺町(千葉郡)にある千葉寺(上の写真)です。 しかし、ちょっと本を読んでいると千葉寺廃寺という文字も出てくるのです。 全国にある国分寺は大体当…

古代東海道 下総国⑧ 千葉寺、亥鼻方面への道選択 v2

市原市からずっと海沿いのルートを考えている人は上の地図でも☆1の房総往還を選ぶことになるでしょう。 私は内陸寄りの☆3か4か5を選びます。と言っても☆1からの距離はわずかで歩いて10分程度。 ☆1は357号湾岸道路沿いの海近くです。近すぎです。千年前果…