古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

更級日記の道 上総国

古墳時代の開始時期と神門(ごうど)古墳群

古墳が盛んに作られた時代を古墳時代と言うが、もう少し丁寧に見ていこうとすると古墳の定義の問題も絡んで簡単ではないようだ。 古墳時代の開始時期については大きく二つに分かれる。 A説 3世紀中葉から後半における箸墓古墳のような定型化した前方後円墳の…

上総の国⑭ 稲荷台1号墳記念広場の風景

上総の国⑦で有銘太刀出土の稲荷台1号墳記念広場あたりの地図はあげているが復元古墳の実写真はあげていないと思うのでそれを。 (ちょうど約1年前撮影) 国道297号わきのはずだけどわかりにくかった。遺跡って見に来る人は多くないせいか周囲に案内表示はない…

上総の国⓭ 「王賜」銘鉄剣 稲荷台1号古墳と市原歴史博物館オープン

2022.10.28朝日新聞でかなり大きく取り上げられている。関東だけかもしれないが。 有銘鉄剣の出土としては埼玉県行田市の稲荷山古墳が有名であるが(国宝)、此れより古い西暦400年代前半に作製されたとみられるのがここ千葉県市原市稲荷台1号古墳から出土した…

上総の国⑫の5 菊間最終: 阿波能須神社と菊間藩陣屋跡

菊間でずいぶんかかったが、最後に気になるところを2か所。 其の1 菊間国と言ったら豪族→律令制下での国造と古代の話で終始するだけかと思っていたらなんと江戸末期から明治初期にかけて菊間藩の存在も話題になっている。 藩主は老中にもなっている水野氏の…

上総の国⑫の4 あたりの雰囲気と菊間天神山古墳 

北野天神山古墳と菊間天神山古墳があり、紛らわしい。 後者について周りを探したが見当たらない。 その過程でさまよい、地域の雰囲気もつかめたが。 普通の農家らしい農家もあることはあったが多くはない。 豪農、お金持ち、普通の市民の家がポツポツという…

上総の国⑫の3  北野天神山古墳と東関山古墳

三者は近い。特にbとcは至近距離。なお、文献によれば新皇塚古墳(古墳前期)はほぼ消滅とある。 b北野天神山(権現山)古墳 前方後円墳90m? 古墳中期 c 東関山古墳 前方後円墳90m? 古墳中期 a 姫宮古墳 前方後円墳52m 古墳後期 北野天神山(権現山)古墳 隣…

上総の国⑫の2 新皇塚古墳

ドキッとするような名称だ。 紹介する文字情報は多い。 一例 ここにあったとされる石造物が上総国分寺境内にある。 が、新皇塚古墳を明示する写真はほとんど見当たらない。 団地建設で削り取られてしまい、立木以外そもそも遺跡というものが残っていないのだ…

上総の国⑫の1 姫宮古墳

姫宮という乙女チックの名称に惹かれる。 車で行く場合、みどりのは葉記念病院の脇からその名も「菊間通り」に入り数分のところにある市原菊間郵便局のところで曲がって入る。 すでに郵便局の背後に見える森が、暗く、深くなんだかパワースポットというか引…

上総の国⑪ 菊間古墳群と国造

土木学会論文集D22vol69にある小方武雄氏の次の一説には強く賛同したい。 直接は神奈川県での古代道について中原街道説ではなく246号説を採る論拠として挙げるものであろうが氏も言うように他の地域での比定にあたっても十分に根拠となるものと考える。 更級…

上総の国 ⓾ 菊間・村田川へ

さて、山木交差点から先、どう進むか。 左折し、八幡地区へ進み房州往還道を進むとするのが多数説かもしれない。 ここで道路技術系研究者の発言も頭をよぎる。 一は、武部健一氏(元建設省・道路公団)の「高速道路と古代道路の共通性というものに気づき~」 (…

上総の国 ⑨ 光善寺廃寺

山木三叉路から入るとすぐ297号道路左側に光善寺の看板が目に入る。 光善寺廃寺と現役光善寺の併存のせいであろう。 国分寺も本来は同じはずだが。 左折して5~60mくらいで左側に階段状の入り口がある。 昭和期再建?の薬師堂 これが更級日記の記述に対比さ…

上総の国⑧ 阿須波神社と光善寺廃寺 V3

上記社寺を上総国府位置比定の根拠に掲げる研究者が多い。 津本氏が紹介する鴇田恵吉(ときたえきち)氏の言説は次のよう。 阿須波神社は万葉の歌から国府の庭にあったと考え、上総国府を市原台地と想定し、更級日記の薬師堂は光善寺薬師如来縁起や柳楯神事か…

上総の国⑦ いまたちと進行経路

受領の赴任旅行にあたっては、吉日に吉方に向かって家を出る出門と実際に吉日に旅を始める進発の2段階のステップがあるとのこと。 更級日記では、9月3日に「いまたち」に移り、15日に平安京に進行を始めている。 では、「いまたち」とはどこ? ここでまた…

上総の国⑥ 国府域を出てから通る道

上総の国府場所については江戸の時代から現代にいたるまで論争があり、大別して4説になるようであるが、いずれにせよ区域内では仕事、生活の必要があり必要に迫られて大小、方向の様々な道が利用されていただろう。 では国を出て京にへ向かうにはどのルート…

上総の国⑤ 国分尼寺展示館

展示館の中には大切なことがわかりやすく説明展示されている。 説明スペースが限られているということは新聞記事と同じで冗長に流れやすい書籍にはない長所をもたらしている。 室内撮影可ということも学習に効果的だ。 展示館の窓から復元建物が見渡せる。 …

上総の国④ 国分寺台町の風景と国分尼寺V2

市原市役所の両脇に国分寺と国分尼寺がある。 国分尼寺は長いこと遺跡状態であったが近年わが国で最高レベルの復元がなされ、注目されている。 市役所と消防署が並んでいる前を通る。(この風景、四国で見たことがある。) 町並みは整然。道路は広い。国分寺…

上総の国 ③上総村上駅から戸隠神社そして国分寺へ V2

国庁、国衙、国府域 山路直充氏は国府を考えるにあたって国庁、国衙、国府域に分類する提言をされている。(房総の考古学p165) 国庁は国司が政事を行う政庁を区画した空間 国衙は国庁とその周辺に曹司が展開した空間 国府域は国衙とその周辺に広がった国府…

京への道 上総の国 ②小湊鉄道:上総村上駅

市原市の中心部は近代的、良質な住宅街となっているが町はずれのこの駅はさびれ,みすぼらしい状態だった。 昭和2年の駅舎らしい。それを魅力ととらえることもできるが。 あたりを見ていると、少し人が集まって来た。 おや、予期しない展開が。 鉄道ファンが…

更級日記の道 1上総の国 ①出発地点の想定 

前書き・総論ばかりじゃひんしゅくを買う。 そろそろ上総の国府から京へ向かって古代東海道の道を歩き始めないと。 しかしここで難問! 上総の国府がどこにあったかが定まらないのだ。 古くから学者先生の間でも見解が分かれていて一向に定まらない。 ざっく…