古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

古代東海道 下総国④八剣神社

たまたま市販の一般的な地図を見ていたら小さく八剣神社というのを見つけた。 なぜか、気になって仕方がないがどうやって行くのかはっきりしない。 千葉中央遺跡通り(仮称)に入ってすぐ「廣照寺入り口」という看板があったのでそこから入ってみた。 しかし狭…

古代東海道 下総国③ 千葉市中央区南おゆみ野(千葉中央遺跡通り)

長妙寺の先、茂原街道旧道、同バイパスを横切って直進し、発展途上地域を超えて浜野川に達する。 いくつかの候補の橋がある。仲良し橋、清流橋、御手洗橋もあるが進むルートに直結するのは南おゆみ橋。 渡った先のこのルートの右側はすごい。 後で立ち寄る千…

古代東海道 下総国② (古市場)高嶋天神社と長妙寺橋

村田川にかかる長妙寺橋を渡る。そこは割と普通に見える町並み。 せっかく、渡るのだから同じ名前のお寺を見てみようとすぐ右折。 おや、途中、ひなびたいかにも村のお宮という感じの神社があった。 ところが、 平安時代から続き、千年の歴史を持つという。 …

古代東海道 下総の国① どこで上総・下総の国境を超えるか V2

上総、下総両国の国境は村田川。 現在は市原市と千葉市の境となっている。 古代の人はどこで川を渡ったのであろうか。 古代東海道のルートを房総往還に重ねる人は以下地図中のAとする。 ただし川が変化しているので村田橋は埋まり、新村田橋に移っているが。…

上総の国⑫の5 菊間最終: 阿波能須神社と菊間藩陣屋跡

菊間でずいぶんかかったが、最後に気になるところを2か所。 其の1 菊間国と言ったら豪族→律令制下での国造と古代の話で終始するだけかと思っていたらなんと江戸末期から明治初期にかけて菊間藩の存在も話題になっている。 藩主は老中にもなっている水野氏の…

上総の国⑫の4 あたりの雰囲気と菊間天神山古墳 

北野天神山古墳と菊間天神山古墳があり、紛らわしい。 後者について周りを探したが見当たらない。 その過程でさまよい、地域の雰囲気もつかめたが。 普通の農家らしい農家もあることはあったが多くはない。 豪農、お金持ち、普通の市民の家がポツポツという…

上総の国⑫の3  北野天神山古墳と東関山古墳

三者は近い。特にbとcは至近距離。なお、文献によれば新皇塚古墳(古墳前期)はほぼ消滅とある。 b北野天神山(権現山)古墳 前方後円墳90m? 古墳中期 c 東関山古墳 前方後円墳90m? 古墳中期 a 姫宮古墳 前方後円墳52m 古墳後期 北野天神山(権現山)古墳 隣…

上総の国⑫の2 新皇塚古墳

ドキッとするような名称だ。 紹介する文字情報は多い。 一例 ここにあったとされる石造物が上総国分寺境内にある。 が、新皇塚古墳を明示する写真はほとんど見当たらない。 団地建設で削り取られてしまい、立木以外そもそも遺跡というものが残っていないのだ…

上総の国⑫の1 姫宮古墳

姫宮という乙女チックの名称に惹かれる。 車で行く場合、みどりのは葉記念病院の脇からその名も「菊間通り」に入り数分のところにある市原菊間郵便局のところで曲がって入る。 すでに郵便局の背後に見える森が、暗く、深くなんだかパワースポットというか引…

上総の国⑪ 菊間古墳群と国造

土木学会論文集D22vol69にある小方武雄氏の次の一説には強く賛同したい。 直接は神奈川県での古代道について中原街道説ではなく246号説を採る論拠として挙げるものであろうが氏も言うように他の地域での比定にあたっても十分に根拠となるものと考える。 更級…