古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

上総の国 ⓾ 菊間・村田川へ

さて、山木交差点から先、どう進むか。 左折し、八幡地区へ進み房州往還道を進むとするのが多数説かもしれない。 ここで道路技術系研究者の発言も頭をよぎる。 一は、武部健一氏(元建設省・道路公団)の「高速道路と古代道路の共通性というものに気づき~」 (…

上総の国 ⑨ 光善寺廃寺

山木三叉路から入るとすぐ297号道路左側に光善寺の看板が目に入る。 光善寺廃寺と現役光善寺の併存のせいであろう。 国分寺も本来は同じはずだが。 左折して5~60mくらいで左側に階段状の入り口がある。 昭和期再建?の薬師堂 これが更級日記の記述に対比さ…

上総の国⑧ 阿須波神社と光善寺廃寺 V3

上記社寺を上総国府位置比定の根拠に掲げる研究者が多い。 津本氏が紹介する鴇田恵吉(ときたえきち)氏の言説は次のよう。 阿須波神社は万葉の歌から国府の庭にあったと考え、上総国府を市原台地と想定し、更級日記の薬師堂は光善寺薬師如来縁起や柳楯神事か…

上総の国⑦ いまたちと進行経路

受領の赴任旅行にあたっては、吉日に吉方に向かって家を出る出門と実際に吉日に旅を始める進発の2段階のステップがあるとのこと。 更級日記では、9月3日に「いまたち」に移り、15日に平安京に進行を始めている。 では、「いまたち」とはどこ? ここでまた…

上総の国⑥ 国府域を出てから通る道

上総の国府場所については江戸の時代から現代にいたるまで論争があり、大別して4説になるようであるが、いずれにせよ区域内では仕事、生活の必要があり必要に迫られて大小、方向の様々な道が利用されていただろう。 では国を出て京にへ向かうにはどのルート…

上総の国⑤ 国分尼寺展示館

展示館の中には大切なことがわかりやすく説明展示されている。 説明スペースが限られているということは新聞記事と同じで冗長に流れやすい書籍にはない長所をもたらしている。 室内撮影可ということも学習に効果的だ。 展示館の窓から復元建物が見渡せる。 …

上総の国④ 国分寺台町の風景と国分尼寺V2

市原市役所の両脇に国分寺と国分尼寺がある。 国分尼寺は長いこと遺跡状態であったが近年わが国で最高レベルの復元がなされ、注目されている。 市役所と消防署が並んでいる前を通る。(この風景、四国で見たことがある。) 町並みは整然。道路は広い。国分寺…

上総の国 ③上総村上駅から戸隠神社そして国分寺へ V2

国庁、国衙、国府域 山路直充氏は国府を考えるにあたって国庁、国衙、国府域に分類する提言をされている。(房総の考古学p165) 国庁は国司が政事を行う政庁を区画した空間 国衙は国庁とその周辺に曹司が展開した空間 国府域は国衙とその周辺に広がった国府…

更級日記の研究

先日、ひさしぶりに神田の古書店街を歩き、この大著を目にした。 1500円とお安かったので購入。 本来は文学の先生であるが、この日記に関するあらゆる側面に綿密なる考証を加えている研究論文である。 地理的側面のことも詳細で、国府位置や帰路の経路につい…

日本古代史研究辞典

「はじめに」にある問題意識でもわかるが(*)、それへの手助けになる平易に総合的に書かれている良著と思う。 (*) 研究の深化と拡大は、必然的に日本古代史研究の全体的状況を把握することを困難にし、新たに研究を始めようとする学生のみならず、専門の研…