平安文学の権威、福家俊幸教授の本「紫式部・女房たちの宮廷生活(2003年平凡社新書)」に目を通した。
平易な読みやすい文章であるが小説家ではなく大学の先生らしく、深くかつ実証を忘れない態度を感じる。題名はちょっとイマイチの感じがするが。
本質から外れるが気が付いた雑感的なことを少しばかり。
15年前の2008年は源氏物語千年紀の年で世の中の源氏物語ブームは大変なものであったらしい。そして来年2004年は紛れもなく再度、源氏物語のブームが来るだろうと予言している。理由はNHK大河ドラマ「光る君枝へ」(大石静脚本)が放映されるからと述べる(あとがき)。
そのとおりとなっている。源氏物語、いやもっと広く平安時代そのものがブームとさえなっている。15年前と異なり動画で扱われることがとても多いのが現代的な特徴ともなっているようだが。
へー、そうなんだとちょっと心にひっかかった箇所があった。
紫式部の娘のことだ。
紫式部は生年も没年も不詳、名前もわからない。しかし娘、大弐の三位(だいにのさんみ)の名は藤原の賢子(けんし)とはっきりしている。
賢子は母と同じく彰子の許に出仕しているが、後年、彰子の妹が後朱雀天皇との間に生んだ親仁親王の乳母になっている。この人事は女院として後宮で隠然たる力を持っていた彰子の差配であり、長年自分に仕えてくれた紫式部への、彰子からの感謝のしるしであったと考えられると書いている。
親仁親王は後に即位して後冷泉天皇となり、賢子は三位の位に上がる。当時、天皇の乳母になるというのは中流貴族の娘が多い宮仕え女房にとって最高の栄達であったらしい。
教授は紫式部が早くに父を喪った娘を見事に養育するとともにその輝かしい人生のレールを敷いていたのであり、物語り作者であるだけでなく有能な「女房」であり、「母」であったことも見逃すべきでないとする。この視点がいい。
*なお、三位の位とは大変な高位のようだ。何しろ伝統的貴族の一員であった大伴家持(?~785年)は745年に従五位下に昇って746~751年越中守を務めている。
*紫式部が育ったという(ほんと?場所だけであろう)蘆山寺に行ったことがあるが整頓が行き届かないお粗末な感じがした。