古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

古代東海道 武蔵国⑫ 上野台と本郷台

天王寺あたりに登ったとして京へ向かうには左折南下せざるを得ない。 どのルートで? 既に足を踏み入れている足元の上野台尾根道をそのまま南下するのが素直な解釈にも思える。遺跡も多いし。 <上野台の古墳群> 上野の台地に遺された唯一の墳丘として、摺…

古代東海道 武蔵国⑪ 道の探索と参考となる図書

豊嶋の駅家から皇居までのルートについて試見,私案でもいいので具体的コースを挙げてくれる人がいればいいのだけれど残念ながらほとんど目にできない。 というわけで暗中模索することに。方法としては A: 地図上から考える=まさに机上のプラン、b: Aに…

古代東海道 武蔵国⑩ 谷中から皇居へのルートを考える

江戸川(市川市国府台)から隅田川へのルートについては書く人が多い。 しかし隅田川を越え、三ノ輪から谷中になると激減(西進)。 谷中から皇居となると江戸時代の資料はありすぎるほどだが古代道となると言及する人はさらに少なくなる。 人が既に書いている…

古代東海道 武蔵国⑨ 谷中に上って天王寺へ

東京低地から上野台地(武蔵野台地東端、山の手台地ともいう。)・谷中霊園付近に上がるとして現在のJR日暮里付近の地形だと三つのルートが考えられる。北から御殿坂、紅葉坂、芋坂。 しかし、それらの各地点が多くの人と荷物を伴う集団移動にふさわしい通過ル…

途中見た重粒子線治療施設に関すること

下総の国⓴で触れた施設 千葉大キャンパスの少し先、稲毛駅の前あたりでこの前の道を通った。 まさか、ここに何度も石原慎太郎氏が治療に来ていたとは。 2年前、氏が87歳のときらしい。 追悼の意味であろうかその時のことについて書かれた手記が文芸春秋社…

途中で言及した人または地点と話題 その1 五木寛之

古代の足跡をたどるこのブログも千葉県市原市から東京都台東区まで進んでいるけど、それだけの距離でもたまたま挙げた人や地点が令和の今、世の話題となっていることがある。 五木寛之氏 (下総国 市川市の記事で触れている) 2月3日朝、車の中だったか、NHK…

古代東海道 武蔵国⑧ 「谷根千 地図で時間旅行」を読んで

森まゆみさんは自分の町と感じる「やなか、ねづ、せんだぎ」について25年間地域雑誌「谷根千」を発行してきた。 その地域について江戸開府以来、現在まで関係する地図を1冊に集めて町の歴史を読み解こうとする本が「谷根千 地図で時間旅行」。(2015年 晶文…