古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

予断排除と技術・工事史的側面

古い古い道路跡を探し、見つけるなんて大変なこと。

かなり明確に比定されている史跡が2か所ある場合、その間を直線で結び、そのルート

に近い道路があると、これだ!と言いたくなってしまう。

 1970年以降、古道はまっすぐということが強調されだしているので、この

考えと結びつくと危ういことになってしまう。

近世はそんなに昔ではない。その時代のものがあると―例えば○○往還―古代もそれに

引きずられてしまう可能性がある。もっと近い現代の道路計画によるものだってあるか

ら要注意だと思う。

 

 可曲(千葉県庁当たり)の駅屋と次の浮嶋(船橋か谷津当たり)の駅屋を直線で結んだもの

が古代東海道と即断するのは危険のようだ。

このあたり工事史に詳しい技術系人材の知識が役立つと思う。1

 この点で参考になるのが、千葉の道千年物語(千葉日報社)に転載されている国道14

号の改良工事図だ。

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海岸よりのまっすぐなコースは明治時代に作られたそうな。

図中に江戸時代は山の手回りのコースだったとある。

この本の記事中には

 海岸よりコースは明治19年完成

 千葉街道は「千葉寺参り」の往還をほぼ踏襲する、とある。

 千葉寺は700年代にできており千葉寺付近に出来上がっていたであろう道は古代駅路

になっていたと考えたい。付近には遺跡も大変多い。