古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

更級日記東京の道⓰ 中原街道・洗足坂上から田園調布本町、多摩川へ ― 完 —

洗足坂上中原街道に入り、左折してこのまま道なりに進めば多摩川・丸子橋に至り、「更級日記―東京の道」は終了する。

 

 しかし,どこか歴史性、風情に欠け、また、丸子橋が丸子の渡し位置より北にずれるのが気になる。

 

中原街道は田園調布警察署前交差点Aで環八通りに交錯するが地図を見るとその脇に細めの多摩川につながる道があることに気づく。この道を歩いてみることにした。

 

 

 

 一方通行!(途中まで)を入って直ぐ左手Bに大田区の嶺町特別出張所があるが「嶺」という文字、海抜20mの表示が気になる。



 

 

やや下りの道はあの田園調布2~3丁目の豪華さを競うような邸宅街とは異なって落ち着く(田園調布本町)。

 

 

 

 

 

さくら坂上信号の先、桜坂通りCで小さな案内板を見つけた。区内で旧中原街道の様子を残しているのはここだけと記す(大田区文化財)。これでよかったのだ。

 

「嶺」を下って川の渡しに向かう道という位置づけになる。なお福山雅治のヒット曲「桜坂」はここを舞台にしているとか。

 

東光院(真言宗智山派)北側では4基の古墳(西岡49号~52号)が発見されている。

 

 

多摩川沼部駅の踏切を渡り京浜河川事務所・出張所脇から土手を越える。

 

 

 

 

と正面に丸子の渡し跡。

 

1934年、丸子橋ができるまで利用されていたと知る。

 

 

 

ふち迄歩き、水面を見てホッとする。



右(上流方向)に丸子橋を見る。さほど離れてはいない。

橋の先に田園調布古墳群の緑の丘が見えている。

 

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