御殿山の坂を下った居木橋界隈から先、延喜式東海道の大井駅と比定されるJR大井町駅付近へのルートが問題だ。
道路技術者で古代道研究家の武部健一氏は著書で(進路は逆になるが)、「多摩川を渡り、中原街道の中延付近で東に折れ、大井駅で90度左折し、直進する」とする(古代の道(吉川弘文館))。
しかし、線路ばかりで歩く道筋が見えない。居木橋界隈はこう。
川の左岸Aを下って三獄橋で渡るしかないと考え、そうした。
への道が
しかしあとで航空写真を見ると御殿山の坂道はDへの道につながっているようにも見えてくる。
明治初期の迅速測図との比較を見るとこうだ。
☆のところで二股に分かれている。
が、Dの先にはっきりした道は見えない。現JR東京総合車両センター中心部分あるいはその東側の鉄道部分に旧道らしきものがあってそこにつながっていたのかもしれない。
当時の鉄道建設時、遺跡らしきものは発見されなかったのだろうか。今になってトレンチを掘って調査など無理だろう。
なお、東側の鉄道に沿うようにさらにその東側に狭い道があり、大井町駅までつながっている。
風情に富み、広町と南品川町の行政境であり、尾根道の性格も見受けられるなど気にかかる。
どういう経緯で残ったかあるいは作られた道かわからない。地元の方で情報をお持ちの方にお聞きしたいところだ。
三獄橋で目黒川を渡って線路下から東側のこの細い道に入って歩いたので紹介しよう。
浅間台小学校は大正9年に荏原郡浅間台尋常小学校として開校。ここら辺は武蔵野台地島南部の高台に連なる。
車両基地が見える。
目印のアトレが見えてきた。
ここら辺の海抜は12~15m。