古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

古代東海道更級日記の道 武蔵国㉕ 大田区と田園調布

大田区ってどうもつかみ難く一口で特性を言い難い。

下町工場街?高級住宅街?

東京湾対岸の市原市に似ている。

ベイエリアの重工業工場地域と沢蟹のいる山間部の養老渓谷地磁気逆転スポット!

 

大田区は1947年,大森区蒲田区を合わせる形で成立したが(大+田=大田区)、地域はこの2地域+糀谷・羽田地域+調布地域(北西部)の4域に区分けされている。23区最大面積だそうだ。羽田空港もあるしね。

田園調布のある北西部は武蔵野台地の東南端で高いところの海抜は42.5m、南東低地部の海抜は1~5mというから生業、住まいの様子も変わるはずだ。

さてさて、この多摩川左岸の武蔵野台地東部には遺跡・古墳がとても多い。前回お示しした大田区浅間神社古墳、亀甲山古墳、宝來山古墳のほか、隣の世田谷区にもたくさん!。 野毛大塚古墳,御岳山古墳、狐塚古墳、八幡塚古墳など。

世田谷区の方はアピール意欲が弱いのか被認知度が低いのは残念。近隣区共同しての広報に努めてほしいと思う。上級、じゃなかった広域自治体としての東京都の考古学情報周知についての総合性や指導性強化を期待したい。

 先般、両国駅脇の江戸博で東京都における埋蔵物の展示会が開催されたが、寄せ集めるだけで(だからこそか)あんなに高額な入館料を取る気が知れない。せいぜい数百円にしないと。

東京都における埋蔵物関連の研究・学芸員は職員定数から外され外部委託化されつつあるとかなり前に聞いたがその影響だろうか。だとするなら区市にかかる期待はますます大きくなろう。

 

 大田区に戻るが、田園調布から2.5キロ南東にある久ケ原遺跡(久が原4~6丁目)について松崎元樹氏が述べられている。(以下紹介)

これは戦前から考古学会で注目された集落遺跡で遺構密度は南関東屈指とのこと。11万平米に千軒を超す住居跡が存在し、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけて営まれた農耕集落で,多摩川呑川に挟まれた沖積地に広大な水田が存在した可能性があるとする。

そして、この遺跡を営む勢力が4世紀になると水上交通の要衝である多摩川沿岸を治める目的で台地上に大規模な首長墓を築造したと推定している。