いよいよ核心の目白通りに入る。
目白通りは武蔵野台地の端、関口台地を通る。
高台で見晴らしがよく、江戸時代は多くの大名下屋敷があった。
従って、近畿に比べれば浅いものの、400年の街としての歴史はあることになる。
今でも緑が多く、落ち着いたいい街である。
ここには丹下健三氏の設計した教会(カトリック)がある。
外も中も荘厳で、華美でなく、すぐれた宗教建築と思う。
拝観料・入館料は取らず、広く館内見学を認めている。
宗教は異なるが伊勢神宮外宮と同じように好感を持てる。
⑥ 椿山荘(ちんざんそう)
東京カテドラルの道路反対側にあるのが椿山荘
江戸時代は上総久留里藩3万石の下屋敷であった。
久留里と言えば鉄道マニアなら今でも千葉県中央部に走る久留里鉄道でピンとくるのではないか。その
久留里である。
その後、長州の下級武士出身にして明治の元勲となった山縣有朋のものとなった。彼は庭好きでも有名で京都にも名園を作っている。
山縣は高台から近くの大隈邸を見下ろしていたであろうが死んだあとは仲よく護国寺に似たお墓を作って眠っている。
大正に入り庭は藤田平太郎男爵のものになった。今の藤田観光(ワシントンホテル係属)につながる。
この20年でもずいぶん変わっている。庭と結婚式場に高級ホテルも併設された。
広い庭は魅力であり、ここでの挙式を望む人は少なくない。私の知り合いもここで挙げ、出席したことがある。
写真の羅漢石はあの若冲(じゃくちゅう)作とのこと。この人、石まで扱うとは知らなかったが、晩年、石峯寺の五百羅漢石像の制作に力を注いだらしい。これを見るだけでも価値があるのではないか。他に移築した室町期の三重の塔もあり、ただで鑑賞できるのはありがたい(あまり言うべきでないかも)。
なお目白通りからではなく、写真のように下の神田川沿いが公園となっておりこちらから入いるのも風情がある。
ウェデイングドレスのすそ広がりは十二ひとえ同様に美しいと思う。