古墳が盛んに作られた時代を古墳時代と言うが、もう少し丁寧に見ていこうとすると古墳の定義の問題も絡んで簡単ではないようだ。
古墳時代の開始時期については大きく二つに分かれる。
A説 3世紀中葉から後半における箸墓古墳のような定型化した前方後円墳の出現を古
墳時代の開始とする考え
この立場は必ず「定型化した」という文言をつける。なんだか団藤重光の「刑法
綱要」を読むような気がしてしまう。科学にそのような規範的、観念的文言が馴
染むのものなのかはさておき、この立場は次のように古墳時代を時期区分する。
前期 3世紀中ごろから4世紀
中期 5世紀
後期 6世紀
終末期 7世紀以降
B説 A説より1段階前の3世紀前半から中葉の「纏向型(まきむくがた)前方後円墳の
出現と波及を画期とする立場
C説 小林孝秀氏(専修大)は
A説を基調としながらも「一方で弥生時代から古墳時代への移行期における動き
についても中央―地方相互で実際の資料に即して把握していくことが必要であるた
め、3世紀前半から中葉の時期を広義の出現期、古墳時代への移行期ないし転換期
として扱う」とする。*
* 松戸市史上巻(改訂版)3章2節
神門(ごうど)古墳群については白井久美子氏が千葉県の歴史資料編考古2で5ページにわたって詳しく説明している。
有名な、3,4,5号墳の3基のほかに円墳(1号墳)、小方墳(2号墳)、方墳2基がありこれらを総称して神門(ごうど)古墳群と総称するとのこと。
最初に調査されたのは南端の神門5号墳で(昭和24年、早大)、当時は大型円墳と認識されていたが昭和50年以降の後の調査でこれら神門(ごうど)古墳群が畿内型の大型前方後円墳に先立って築かれた定型化以前の古墳であることが田中新史によって呈示されたとある。
「弥生時代後期と古墳時代前期前半との間に新たな段階を認めて「古墳時代出現期」が区分された最大の根拠は、神門3基の列島内での位置づけによる」とのこと。
それなのに「神門(ごうど)古墳群は、5号墳(市指定史跡)を残して宅地化された。歴史的構造物の評価が将来に問われる機会をもたないまま開発が進められた時代の遺産でもある。」と結んでいる。
2021年9.23撮影の実写版を以下に
住宅地でかえってわかりにくい。公園に神門とあるのでこのあたりだろうと期待
少し遠くを見ると、遺跡につきものの常緑広葉樹が。
そうだった。ひっそりと立て看板が一つ。隣は墓地。
ただし入って,登れるのがうれしい。
説明文をよく見よう。白井氏とちょっと異なる点もあるがほぼ同じ。
「そうだ京都行こう」で京都へ行って、千年前とか千二百年前とかの歴史を聞かせられるけどここは間違いなく千八百年前から不動の土地。
感じるものは大きく深い。