古代東海道・更級日記の道

1020年、菅原孝標女が歩いた上総(千葉)から京への古代東海道を探索しながら進みます。

リアルの体験とネット・文献での知見との差異② 高輪,二本榎通り

同じく3月28日の歩きについての想い。

 菅原孝標一行が歩いたここら辺の古代東海道ルートは済海寺のいわれはあてにならないがほぼこの二本榎通りでいいと思う。

理由:尾根筋の安定した地形である。下の旧東海道はまだ不安定箇所。

   遺跡も散見され、補強証拠足りえる。

 中流貴族菅原孝標一行の上総から京への旅は1020年なのでほぼ1000年後のことになるがこの道沿いに当時の最高上司である天皇の末裔である上皇夫妻が仮仙洞御所として住んでいた(撮影時)というのは感慨深い。(武蔵野国㉒でアップ)

高輪中高と東海大付属高輪台中高が隣接して立地していてわかりにくいが、どちらかが吹奏楽でいい成績を得たとのニュースを見て、ああ、あそこの学校がと、なつかしく思ったが、もうどちらだったが思い出せない。